成長を実感するには内的動機づけによる裏付けが必要なんじゃないかと思った話です。
成果が出ているのに、成長を実感できない
最近目にした話題です。いわゆるエンゲージメントサーベイ的な社内調査の結果として「成長が実感できない」という意見があるという声。
ちょっと背景を考えてみたのですが、おそらくこれは自身の成長に対して実感や納得感が無いということなんだと思います。仮に成果が出ているのに、このような意見が出るとすると、何らか成長はしているのに、それがうまく捉えられていないということです。
実は、特に業績に問題がない組織やチームでも、これは案外起こりうるかな、と思っています。理由は「外的動機付け」と「内的動機付け」です。
内的動機付けに基づく成長には納得感が伴う
端的に想定されるのが、結局「内的動機」に起因した成果・成長じゃないと、実感が持てないんじゃないかということです。
自分のスタンスを改めて考えてみると、何かの仕事を与えられたとき、それは外的動機として訪れます。仕事に対するスタンスや向き合い方を整理する中で、外的動機と内的動機のバランスが図られ、結果、この2つが両輪となって仕事を進めてくれます。
この状態だと、例えば仕事が上手く行かなかったとしても、何らか動機を満たす要素を見出すことがやりやすいと感じています。要するに、動機・要件について複数のドメインに展開することで、いずれかの方向にちゃんと成果を残せたと、自身の中で納得感を得ることができるためです。
逆に、上手く行ったとして、このようにいくつものメリットを見出しておくことはより大きな達成感に繋がります。せっかくのお仕事ですから、有効に活用しないと勿体ないわけです。
この中で、必ず仕事や作業に対して、内的動機、つまりは自分が楽しめる要素や自身のスキルとして、例えば新しい要素を入れるようにしています。これは意識的なものではなく、ほぼ無意識にやっていることだと感じています。
結果、自身の成長につながる一歩になったかな、という振り返りが必ずできるようになりますし、そこには成長に対する実感が伴っています。
外的動機による成長は納得感が薄い
極論ですが、例えば1on1などのミーティングで「君は成長しているよ!」と言われたらどうでしょうか。仮に、自分の成長に自信が持てない中で、信頼できる上司からこのようなフィードバックを受けたら、それはポジティブに働くでしょう。
一方で、この言葉は逆の危険性もはらんでいます。成長が実感できないのに、「成長しているよ!」という声をかけられたら、不信感を感じてしまうケースもあるでしょう。あるいは、ぶっちゃけこのシチュエーションが「気持ち悪い」と感じられるケースもあります。上司の都合と自身の成長を天秤にかけてしまうようなこともあるでしょう。
結局は信頼関係もあるわけですが、多少なりとも自身の中に、成長のベクトルが醸成できていないと、こういった外からの声を素直に受け取ることは難しくなるでしょう。
成果と成長を繋げていくこと
大事なのは、仕事の成果を単なる成果に終わらせず、成長、動機付けなどにちゃんとフィードバックしていくことなんだと思います。言われたことをやったから評価してほしい、というスタンスで居ると、成長に対する感度も鈍ってしまい、上記のような違和感を感じたり、成長実感がなかなかできなくなってしまいます。
そのためにも、眼の前の仕事の成果がどのように会社や社会への貢献に役立っているかを常に俯瞰的に捉えることが大事なんだと思います。
最後に。成長を実感すること=「自己効力感」なんだと思います。
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