たまにいますよね。職場の人間関係に「怨嗟」を持ち込んじゃう人。ハラスメントに近いような対応を受けていることもあったりして、なかなかに難しいんですが、そういう「怨嗟」を持ち込まないためにどうすれば良いか、ちょっと考えてみました。
それは「怨嗟」
職場で起きる人間トラブル。特に上司が仕事を認めてくれない、みたいなケースが人間関係の軋轢として起きることがあります。この軋轢にはいくつかの段階があるのですが、それとは全く別のベクトルで、「怨嗟」を持ち込まれるケースがあって、最近はっとしたことがありました。
何か嫌なことがあったとして、気にしない、愚痴る、文句を言う、くらいはまだかわいいものなのですが、どうせあの人は!みたいな感じで「怨嗟」の域まで行くと、正直周りもドン引きします。この状況は非常に良くないです。っていうか正直僕も最初それを見たときは、ああ、人はここまで誰かを嫌えるのか・・・とちょっとびっくりしたくらいです。
ああ、これが「怨嗟」ってことか・・・と思ったわけですが、これはやっぱり避けないといけないよな、と同時に思いました
なぜ「怨嗟」は起きてしまうのか
怨嗟の原因は単純で、基本的には期待値の裏返しというところが大きいと思います。部下から上司に対する期待もあればその逆もあるでしょう。それが当たりの強いコミュニケーションになれば、その結果として「許すまじ」の感情にスイッチが入ってしまう可能性はあります。期待値が低ければ、それは軽い失望となり、すっと消えていくものです。
期待値が高いことを良いことと捉える向きもありますが、私はそもそもこの「高い期待値」、特に外に対する高い期待は絶望しか産まないというのが持論です。自分自身に対して高い期待値(つまりは自己承認)を持つのは悪いことではないですが、外に対する期待は概ね良い結果をもたらしません。
なぜなら、それはコントロール不可能だからです。その期待が当たったことを「予想が当たった」「俺の先見の明は凄い」って思う人もいるでしょうが、結構それは危険な思考かもしれません。期待が外れたとき、それを受け流す覚悟までを一連でデザインしておく必要があると考えています。
期待値を上げない努力を
じゃあどうすれば良いか。基本は期待値は上げないことが寛容だと考えています。
私の座右の銘に「ですよねー」というのがあります。相手が想定外の反応をしたとき、「あ、やっぱりそう言っちゃいます?ですよねー」と受け流すための心の準備です。ありとあらゆる事象、人の反応に対して、すべて受け流す準備をしているということです。こうすると、腹が立ちませんし、逆に予想以上の結果が得られたときの喜びと感謝の思いはさらに強いものになります。「ですよねー」はオススメです。
加えて。もしあなたが役職のある偉い人だったら、やはり積極的にバカな失敗を見せるというのが重要だと思います。弱みを見せるのが苦手な人もいるでしょうが、はっきり言ってその一線を超えてしまったほうが遥かにマネジメントも指導も楽になります。
それで信頼を得られるか否か、ここからが勝負になるので、頑張ってください。目指すべき姿としては、「また言ってら」と言われるくらいの距離感の上司です(苦笑)。実はこれくらいの距離感のほうが、指示指導が良く通るケースは少なくありません。お試しください。
とにかく、「怨嗟」は避けるべき
やっぱりね、職場の人間関係に「怨嗟」は持ち込みたくないわけで。場合によっては、怨嗟の感情が湧いてきたら、その場から全力で逃げるくらいのつもりでいたほうが生産的だと思っています。怨嗟をコントロールするか、場所を変えるか。周りに「怨嗟」の火種が見えるみなさん、気をつけましょう。
コメント