歳をとったためか、最近めっきり怒りっぽくなったなぁと思う今日このごろ。なるべく心穏やかに過ごしたいところなのですが、ふと、自分は何が気に食わなくて怒りのスイッチが入っているのか?を自己分析してみました。結果、自分は「下品な仕事」が気に入らないらしいことが分かってきました。
大手コンサル会社の”筋の悪い”事件
先日、某大手コンサル会社が、クライアントである業界大手企業の情報を別の会社に漏洩するという事件が報道されました。よりによってその2社は業界のトップ2であり、しかも資料はクライアント企業のロゴなどが入ったままで、会議資料として使われたとか、もう阿鼻叫喚とはこのことかというような参上です。
この報道を受けて、コンサル会社の中での情報ファイヤーウォールはどうなっているのか、とか、その情報を受け取った会社も姿勢としてどうなのか、そもそも法的な責任はどうなる、などなど、まあ当然ながらいろんな意見が出ているわけですが、その中に「だからコンサル会社は信用ならん」みたいな、コンサルビジネスそのものを批判する声があったのが気になりました。
当然ながらこのコンサル会社、業界大手をクライアントにしているという実績もありますので、その業界に強いコンサル会社として有名です。つまり、クライアントが居るから、コンサル会社のビジネスはなりたつし、それによってビジネスナレッジの交換が行われることで、結果業界全体がビジネス拡大する、という面があるわけです。
コンサル会社が居るからこそ、そして業界大手がクライアントになっているからこそ、他の企業、特にその業界に参入しようとしている人たちや、提携を模索している人たちに適切な情報を与えることができるという面もあり一概に批判できない面もあるというのが私の立場です。
それを踏まえてみても、今回の件は、とにかく筋が悪い話だなぁ・・・と、直感的に思ってしまったのですが、この「筋が悪い」という言葉が自分の中でどこから来ているのかが気になりました。
随分と長い導入になってしまいましたが、この「筋の悪さ」が実は今回の記事の内容になります。
怒りっぽくなった(苦笑)
仕事をしていく上で、そろそろ潮時かな、と感じる瞬間は人それぞれにあると思います。私の中では、周りで起きていることに不満しかなくなった時、それはつまり、現状維持を強く希望しているという面があるので、潮時かな、と感じる気がしています。そういう気持ちをきっかけに、何か新しいチャレンジを模索したり、ということを繰り返しているのですがね。
ところで、最近特に怒りっぽくなった気がします。歳を取ったこともありますが、上記の通り、おそらく今の業務を長く続け過ぎている面があるのかな、と思っています。ただ、一方で、怒りのスイッチが入るタイミングに何か法則性はないか、と自己分析したくなるのが私の変わったところでして、今回はそれを考えてみたわけです。
折しも、前述のコンサル会社の事件があった直後で、「筋が悪いなぁ」という感覚が自分の中でひっかかっていたところもあり、この「筋の悪さ」とは何か、そこに自分の怒りのポイントもあるのではないか、と思ったのです。
自分は「丁寧であること」を求めている
なぜ、周りで起きていることに怒りを感じるのか。実は理由は「丁寧さが足りない」と思っているからだということに気づきました。
丁寧さ。例えばメール一本にしても、言葉遣いや相手の反応を想定した必要十分な情報の提供など、気を使うポイントは数多あります。そういう配慮が足りないコミュニケーションを目にすると、もっと丁寧にやればいいのに、と思うわけです。
その丁寧さとして求めているレベルはどこから来るかといえば、自分自身の過去の経験です。自分ならどうするか、という投影の意識が強すぎることも、この怒りの背景にあるかもしれない。この辺は対策できそうかも、とかそんなことを考えていたんですが、さらに踏み込むと、そこで「下品」という言葉にぶち当たりました。
そう、丁寧ではない言動とは、つまりは下品なんです。そして丁寧な言動は、上品であると。品があるかないか。これが実は根っこにあるのではないかということに気づきました。
品の無さを甘受する
一方で、世の中には品がないものは多数あります。例えば上記コンサル会社の事件についてのコメントもそうですが、SNSは完全に品のない世界になっています。むしろ価値観のクロッシングポイントとしては正しい進化なのかもしれないと思う側面もあるのですが、もうちょっと生産的な議論の仕方もあるでしょう、と常々思うわけです。
そのすべてに一々気をもんでいたらきりがないので、それはそれとして存在を甘受するのが、今時のインターネットのお作法なんだろうな、と思っています(甘受という言葉が妥当かどうかも微妙ではあると思いますが)。
仕事においても、様々な価値観で業務に取り組んでいる人が居る以上、ある程度の品の無さは甘受が必要なんだと思います。自分はそうはしないだろうが、その考え方、やり方も否定はしない。結果、より高い成果に繋がるなら、それは可能性として認めていかなければならないのですから。
怒りを分析することで得られること
アンガーマネジメントではよく6秒ルールが語られます。ただ、その先で、その怒りのルーツをしっかりと見つめておかないと、また同じ轍を踏んだり、その怒りのツボを抜け出せなかったりするんだと思います。
自分は相手の所作にも「上品さ」「丁寧さ」を求めており、それが満たされなかった時に怒りを感じる。これが今回、自分自身の怒りを分析して分かったことです。裏を返せば、自分は誰に対しても丁寧でありたいと思っているということでもあります。ただ、丁寧さの定義はそれこそ人それぞれですので、自分の中の固定された「上品さ」に囚われすぎず、心穏やかに生きていこうと思いました。
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