アリゾナ大学の卒業式で、Google元CEOのエリック・シュミット氏がAIについて語ったところ、卒業生からブーイングを受けたというニュースがありました。この出来事は、単に「若者がAIに反発している」という話ではないと思います。むしろ、AI時代のコミュニケーションにおいて、何をAIに任せ、何を人間が引き受けるべきなのかを考えるうえで、かなり象徴的な出来事だったように感じます。
もしスピーチの前にAIへ相談していれば、この反応を避けられたのでしょうか。あるいは、AIで整えたスピーチは当たり障りのないものになり、かえって聴衆を冷めさせたのでしょうか。おそらく答えは、その中間にあります。AIは言葉の摩擦を減らすことには役立つ。しかし、人の心を動かす熱量まで、自動で生み出してくれるわけではない。だからこそ、AI時代の言葉には、人間の熱量がより強く問われるのだと思います。
アリゾナ大学の卒業式で起きた出来事
2026年5月15日、アリゾナ大学の第162回卒業式が開催されました。大学の発表によれば、この卒業式では約1万人に学位が授与され、Googleの元CEOであるエリック・シュミット氏が祝辞を述べました。シュミット氏はGoogleを世界的企業へ成長させた人物であり、近年はAIや科学技術、国家競争力に関する発言でも知られています。大学側も、シュミット氏をAI時代を形作ってきた人物として紹介していました。
ところが、そのスピーチの中でAIと雇用、そしてこれからの社会について語り始めたところ、会場からブーイングが起きたと報じられています。GIGAZINE、AP通信、Reutersなどの報道によれば、シュミット氏はAIがあらゆる職業、教室、病院、研究所、そして人間関係にまで影響を及ぼすといった趣旨の話をしました。そのうえで、学生たちが感じている不安についても触れ、「機械がやってくる」「仕事が消えていく」「自分たちが作ったわけではない混乱を受け継ぐことになる」といった恐れは理解できる、という趣旨の発言もしています。
つまり、シュミット氏は学生の不安をまったく無視していたわけではありません。むしろ、スピーチの構成だけを見ると、かなり正攻法です。不安を認める。そのうえで、未来はすでに決まっているわけではないと語る。そして、AIに形作られる側ではなく、AIを形作る側になってほしいと促す。文字だけを読むと、そこまで極端なことを言っているようには見えません。
それでも、現場ではブーイングが起きた。このズレが面白いところです。
「AIに聞かなかったのか?」という皮肉
この件について、Xでは「AIにどんなスピーチをすればよいか聞かなかったのか?」という皮肉めいた投稿も見かけました。これは、なかなか鋭い突っ込みだと思います。
もちろん、これは本当にAIへ聞いたかどうかを問題にしているわけではありません。重要なのは、AIの活用価値を語る側の人物が、AIがまさに得意そうな「受け手の反応予測」や「表現上のリスク確認」に失敗したように見える、というところです。
しかも、シュミット氏は元Google CEOです。Googleは検索の会社であり、広告の会社でもあります。もう少し雑に言えば、人間が何を見て、何に反応し、どの言葉に動くのかを事業の中核にしてきた会社です。だからこそ、この場で発生しうるレピュテーションリスクや、聴衆の心理的な抵抗は、ある程度予見できたのではないかと思ってしまいます。
特に卒業式という場は、普通の講演会ではありません。卒業生にとっては、長い学生生活の区切りであり、家族や友人が見守る中で、新しい人生の入口に立つ場です。そこで「AIは世界を変える」「仕事も変わる」「だからこの変化に参加せよ」と語られると、聞く側によっては祝福というより通告に聞こえる可能性があります。
そして、今の学生たちは、AIについて何も知らないから不安なのではありません。むしろ、日常的にAIを使い始めているからこそ、その便利さも、危うさも、肌感覚として理解している。授業ではAI利用を制限されることがあり、一方で就職活動ではAIを使いこなす人材であることを求められる。そういう矛盾の中にいる人たちに対して、AI時代の到来を前向きに語るだけでは、なかなか届かないわけです。
予見できなかったのか、あるいは予見しても避けられなかったのか
では、シュミット氏はこの反応を予見できなかったのでしょうか。
私には、完全に予見不能だったとは思えません。AP通信は、2026年の卒業式シーズンにおいて、AIを前向きに語るスピーチが複数の大学でブーイングを受けていると報じています。Reutersも、AIが産業や雇用を変える中で、若い世代の不安や怒りが強まっていると報じています。さらに、学生の中にはAIを自分たちの職業人生に対する脅威として見ている人が相当数いるという調査も紹介されています。
このような状況を踏まえると、卒業式でAIを語ること自体が、かなりセンシティブなテーマになっていたことは見えていたはずです。少なくとも、「AIの話をすれば前向きに受け止められるだろう」という前提は、かなり危ういものになっていたと思います。
一方で、シュミット氏の立場からすれば、AIについて語らないという選択も難しかったのかもしれません。大学側はシュミット氏を、AI時代を代表する人物として招いています。彼が卒業式でAIに触れないと、それはそれで不自然です。つまり、問題はAIについて語ったこと自体ではなく、どのような場で、どのような順序で、どのような距離感で語ったのかにあります。
ここでAIに相談していれば、少なくともいくつかのリスクは洗い出せたかもしれません。たとえば、「卒業生はAIによる雇用不安を抱いている」「授業ではAI利用を制限されてきた学生もいる」「卒業式は未来への不安より祝福を求める場である」「AIを不可避のものとして語ると、上から目線に聞こえる可能性がある」といった指摘は出てきたでしょう。
ただし、AIに相談すれば必ずブーイングを避けられたかというと、それも違うと思います。AIはリスクを見つけることはできる。しかし、現場の空気を変えるほどの言葉を生み出せるかどうかは、別の問題です。
AIは代筆者ではなく、コミュニケーションの緩衝装置である
ここで考えたいのは、AIをスピーチ作成に使うとはどういうことなのか、という点です。
AIにスピーチを丸ごと書かせれば、確かにそれっぽい文章はできます。相手の不安に寄り添い、希望を語り、未来への行動を促す。形式としては整います。しかし、AIで生成された文章には、独特の均質さがあります。角が取れていて、間違いは少ない。けれども、どこか体温が低い。言っていることは正しいのに、なぜか心に残らない。そういう文章になりがちです。
これはAIが悪いというより、AIの得意領域を考えれば自然なことです。AIは、多くの人にとって無難で、誤解が少なく、破綻しにくい表現を選ぶのが得意です。料理で言えば、塩分や火加減の失敗を減らすのが得意です。しかし、「この店の味だ」と思わせるクセや香りは、人間が最後に入れないと出にくい。
だから私は、AIをスピーチの代筆者として使うよりも、コミュニケーションの緩衝装置として使うほうが、本質的には有効だと思っています。
この言い方は、相手にどう聞こえるか。
この比喩は、聞く人の立場では押しつけに感じられないか。
この順番で話すと、不安を認める前に結論を押し込んでいるように見えないか。
このメッセージは、誰かにとって「すでに未来は決まっている」と言われたように聞こえないか。
こういう確認にAIを使うことは、とても価値があります。AIは、人間が自分の言葉に入り込みすぎて見えなくなった死角を、かなり冷静に照らしてくれます。自動車で言えば、AIは運転手そのものではなく、ABSやサスペンションに近い存在です。アクセルを踏むのは人間ですが、その前に「その言い方だと、相手には少し強く当たりすぎるかもしれません」と教えてくれる。
今回の件で言えば、AIにスピーチを作らせるべきだった、という話ではありません。むしろ、AIを使って「この言葉は、今の卒業生にどう届くか」をシミュレーションするべきだったのではないか、という話です。
私たちがAIに期待しているのは、摩擦の低減なのかもしれない
最近、AIを使って文章を整えていると、ふと思うことがあります。私たちがAIに期待しているのは、文章の自動生成そのものではなく、コミュニケーション上の余計な摩擦を減らすことなのではないか、ということです。
自分では普通に書いたつもりの文章が、相手には上から目線に見えることがあります。善意で書いた説明が、相手には責任転嫁に見えることがあります。正論として書いた内容が、相手には感情を無視した冷たい言葉に見えることがあります。こういうズレは、仕事でも日常でもよく起きます。
人間のコミュニケーションは、だいたい内容そのものよりも、文脈と順番で事故ります。伝えたいことが間違っているのではなく、伝え方が悪くて燃える。言っていることは正しいのに、相手からすると「今それを言うのか」となる。これはもう、言葉の交通事故です。
AIは、この事故を減らすためにかなり使えます。
「この文章は相手にどう読まれそうか」
「反発が起きるとしたらどこか」
「主張を弱めずに、もう少し受け取りやすくするにはどうすればよいか」
「先に認めるべき相手の不安は何か」
こうした問いに対して、AIはかなり実用的な壁打ち相手になります。人間のコミュニケーションにおける、事前レビュー役としては非常に優秀です。
ただし、ここで注意したいのは、摩擦を減らすことと、熱量を消すことは違うという点です。
摩擦ゼロの社会は、たぶんつまらない
AIによって、すべての文章が整えられ、すべてのスピーチが無難になり、すべての発言が炎上しないように調整されるとしたら、それはそれで便利な社会かもしれません。けれども、同時にかなりつまらない社会にもなりそうです。
誰も怒らせない。
誰も傷つけない。
誰にも引っかからない。
でも、誰の記憶にも残らない。
これは、AIによるコミュニケーション最適化の副作用だと思います。角を取りすぎた言葉は、たしかに安全です。しかし、角がない言葉は、どこにも刺さらない。すべての言葉が、きれいな丸い石のようになってしまうと、手触りはよいのですが、何かを削ることも、何かを刻むこともできません。
コミュニケーションには、ある程度の摩擦が必要です。もちろん、相手を傷つけるための摩擦はいりません。無神経さや傲慢さから生まれる摩擦も減らしたほうがいい。ただ、人間が本気で何かを伝えようとするときには、多少の熱が出ます。物理でも人間関係でも、熱は摩擦から生まれる。もっとも、SNSの場合はすぐ焼却炉になりますが。
だから必要なのは、摩擦をゼロにすることではありません。不要な摩擦を減らし、必要な熱量を残すことです。
AIが整えた世界だからこそ、人間の熱量が際立つ
今回のシュミット氏のスピーチに戻ると、問題は「AIを使えばよかったのに」という単純な話ではないと思います。もしAIが作ったような、完璧に整った、誰にも反発されないスピーチだったとしても、それはそれで卒業生の心には残らなかったかもしれません。
一方で、まったく推敲されていない、人間の熱量だけで押し切るスピーチも危うい。特に、話し手が大きな権力や実績を持っている場合、その熱量は聞き手にとって圧力にもなります。話し手にとっては鼓舞の言葉でも、聞き手にとっては「もう決まった未来に従え」と聞こえてしまうことがある。
だから、AI時代のよいコミュニケーションは、AIが整え、人間が火を入れるものなのだと思います。
AIは、文脈を読み、リスクを洗い出し、言葉の角を整える。人間は、そこに自分の経験、責任、覚悟、そして熱量を込める。AIが滑走路を整え、人間が飛行機を飛ばす。滑走路だけでは何も飛びませんし、飛行機だけでも荒れた地面では事故ります。
この役割分担が、これからのAIと人間の協働において大事になるのではないでしょうか。
AIが整えた言葉に、人間が自分の体温を乗せる。AIが摩擦を減らした世界だからこそ、人間があえて込める熱量が際立つ。これは、AIによって人間の言葉が不要になるという話ではありません。むしろ、人間が本当に何を語りたいのかが、より厳しく問われるようになるという話です。
AI時代のコミュニケーションに必要なこと
今回の出来事から学べることは、AIについて語るときには、AIの性能や可能性だけを語っても足りないということです。特に、AIによって影響を受ける側の人たちに向けて語る場合には、その人たちがどのような不安を抱え、どのような矛盾の中に置かれているのかを、先に考える必要があります。
「AIは避けられない」
「AIを使う人が、使わない人を置き換える」
「だから早く適応すべきだ」
これらの言葉は、ビジネスの場ではそれなりに通用するかもしれません。しかし、卒業式の場では、違う意味を持ちます。そこは新しい人生の出発を祝う場であり、不安を抱えながらも前に進もうとしている人たちが集まる場です。そこで必要なのは、変化への適応を迫る言葉ではなく、変化の中でも自分の人生を自分で作っていけると思える言葉です。
これは企業のAI導入でも同じです。社内でAI活用を進めるときに、「これからはAIを使う時代です」「使わない人は取り残されます」とだけ言うと、表面上は拍手が起きても、内心ではブーイングが起きているかもしれません。
AI導入で本当に大事なのは、未来を決定事項として伝えることではなく、その未来を一緒に設計できる感覚を作ることです。人は、自分が参加していない未来を、心から歓迎することはできません。
おわりに
エリック・シュミット氏へのブーイングは、AIへの単純な拒絶ではなかったと思います。また、シュミット氏のスピーチが完全に不適切だったと言い切るのも、少し雑だと思います。報道を見る限り、彼は学生の不安に触れ、それを合理的なものとして認めたうえで、未来を作る側になってほしいと語っています。内容だけを取り出せば、むしろよくある前向きな卒業式スピーチです。
それでも届かなかった。
ここに、AI時代のコミュニケーションの難しさがあります。
正しいことを言えば伝わるわけではない。共感を入れれば届くわけでもない。相手の不安を認めるだけでも足りない。誰が、どの立場で、どの場で、どの順番で語るのかによって、同じ言葉でもまったく違って聞こえる。
だからこそ、AIは役に立つのだと思います。AIは、こちらの言葉が相手にどう届きそうかを事前に確かめる鏡になります。自分では見えない言葉の角を見つけてくれます。余計な摩擦を減らし、本当に届けたいものが届くように、道を整えてくれます。
しかし、最後に言葉へ熱を入れるのは人間です。
AIに聞けば、ブーイングは避けられたのか。
おそらく、完全には避けられなかったかもしれません。ただ、なぜブーイングが起きるのかを考えることはできたはずです。そして、その考える過程にこそ、AIを使う意味があるのだと思います。
AIが整え、人間が火を入れる。
これからのコミュニケーションは、そういう形に近づいていくのかもしれません。AIによって言葉が均質化していく時代だからこそ、人間の熱量は消えるのではなく、むしろよりはっきり見えるようになる。今回のブーイングは、そのことを考えるための、かなり大きな音のフィードバックだったのだと思います。

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