情報を発信する人に情報は集まるという世知辛い世の中

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イマドキのインターネットは、「情報を発信する人」に「情報が集まる」ように出来ています。世知辛い世の中です。

”別の世界を生きている”感覚

先日、会社の同僚と話をしていたとき、「ポケモンGoがGCPで動いている」という話題になりました。IT業界の人ならこのネタ、さらには最近発表された、スーパーマリオRUNもGCPで動いているという話と合わせて、比較的メジャーなトピックだと思っていたのですが、意外にも「知らない」という答えが返ってきました。

あれだけメジャーなニュースなのに、という不思議な感覚を覚えると同時に、ああ、こうやって情報格差は広がっていくのかもしれないなぁとちょっと納得するところもあり。

そういえばしばらく前、「GoogleはSEOされてるから使わない」という話が話題になりました。確かにイマドキのインターネットは、個々人の趣味、嗜好に合わせて、得られる情報にカスタマイズが掛かっているのは常識です。つまり、情報操作されている。これを心地よいと感じるかどうかはこれまた個々人の好みってところがあるんですが、”効率的に”情報を集めたいシーンではやっぱり助かるわけです。じゃぁより自分に必要な情報を効率良く集めるにはどうすれば良いか、と考えると。

結論から言ってしまえば、これって実は簡単で、「情報を発信する人に、情報が入ってくる」ようになっている。これが今のインターネットというか、Googleの定義しているインターネットの動きです。発信すると言っても、何かブログを書くとか、コミュニティに参加するとか、そういうものとも限りません。例えば、Facebookで「イイね」するとか、Twitterでリツイートするとか、そういうインターネット上での活動のすべてが、趣味嗜好として解析され、より効率よく情報を集められるようになっているんです。

要するに、Give and Takeなわけです。インターネットをより多く使っている人に、情報は返ってくるようになっています。残念ながら、これが現状で、実際自分自身でもこれを実感しています。

”情強”、”情弱”はいつ消えたのか

以前、良く見られた言葉に「情強」「情弱」というものがありました。最近ぱったりと見なくなったなぁと思ったんですが、もはや、こんな言葉で比較できないくらい、ネットで得られる情報量、ネットに与えられる情報量の格差が大きくなってしまった結果なのかなぁと私は思っています。

結果として、同じような情報にばかり触れていると、どんどんと偏向が強まるのではないか、という危惧ももちろんあります。ただ、多くの情報が集まる環境では、ちゃんとダイバーシティも得られるようになっているのが皮肉なところ。得る情報が少ないことのほうが、むしろ怖いなぁと感じる今日この頃です。あるいは、この感覚、きっとこれが「ネット中毒」なのかなと思っています。

それも含めて、これが今のインターネット

私は今のこの環境を、良いとも悪いとも思っては居ません。ただ、そういうことが起きていて、自分がどういう形でインターネットに関わっているのか、という位置感覚だけは無くしたくないな、と思うところです。世知辛い世の中だなぁというのは間違い無いです。

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