TechSite.blog powered by shimarin @ayurina

IT技術から管理職・組織運営Howtoまで、日々の気づきを掘り下げるブログです。

情報共有しない人の思考パターン

time 2020/10/21

なぜか、チームの中に情報共有に積極的ではない人がいる。これは良くあるシチュエーションなんですが、その一人のために、チームの雰囲気が悪くなったり、仕事が滞ったりすることがあります。情報共有しないことは悪だと私も思うのですが、一方で、なぜ情報共有しないのか、ってところを考えてみました。

sponsored link

情報共有しない人は干渉されたくない人

これはもう自明なのかもしれませんが・・・・

実はこういう宗教戦争が密かに起きているという話なんです。

ウチのチームにも居ますが、こういう情報共有しない人って、決して悪気があるわけではないのです。むしろ、人のためを思って、その人が必要ないであろう情報を出さないパターン。つまり善意なんです。

一方で、情報共有したがる人も、何かの役に立つかもしれない、と思って情報を流しているわけで、そこにも善意があります。これは善意と善意の争いなんです。

先日、この話について実際、情報共有をあまりしてくれない人と議論してみて分かったのですが、どうやらこの情報共有しない行動の根っこにあるのは、「干渉してほしくない」という思考らしいことが分かってきました。

要するに、人の行動は”鏡”です。自分がしてほしいことを人にもするし、自分がしてほしくないことは人にもしません。情報共有しない、ということは、つまり、人からも情報が欲しくないということなんです。

情報が欲しくないとはどういうことか。つまり干渉されたくない。自分は自分で、範囲を決めた仕事を淡々とこなして、結果を評価してほしい、みたいな思考です。

それって情報共有することと対義なの?って思うわけですが、情報のシェアって、必ずレスポンスと対になってるんです。要するに、レビューされたくないってことなんです。だからレビューもしない。人の仕事と壁を作りたがる人の根本的な思考パターンがここにあります。

結果、情報流通しなくなるわけです。

仕事のスピードを上げるために情報共有を(あえて)行わない

もう一つ、面白い言説があって、はっとしたのですが、「仕事のスピードを上げるために、情報共有は最低限にする」という意見がその流れで出てきました。

この、情報共有と仕事のスピードをトレードオフにする考え方自体に嫌悪感を感じて、実は私、ちょっと切れてしまったんですが(苦笑)、この考え方も、同じような価値観に基づいているのかな、と感じています。

結局、情報共有のための手続きや、アウトプットを行うために使う時間がもったいない、ということのようなのですが、それを抑止したとして、じゃあどれだけ仕事の質や速度が上がるのか・・・と、むしろそっちが気になってしまうわけです。

つまり、情報共有は、阻害要因?

これらの見解から見いだされる結論は、『情報共有は自分の仕事を行ううえで、阻害要因になる』という考え方です。情報共有はコストが高く、得られる効果がコストに見合わないということかな、と私は解釈しています。

この意見は、正しい面もあると感じています。

昨今のテレワークの環境下では、まさに独立した環境で自分ひとりで成果をあげなければならないシーンも少なくありません。また本当に集中して一人で作業したほうが成果の質が上がる業務もあるのは間違いないです。それ自体は否定しません。

ただ、すべてがそうであるか、というと、そうは言い切れないと思っています。

現に、むしろテレワークについては、「何をやっているのか見えないから困る」という声のほうが多いのは知っての通りです。やっぱり人はコミュニケーションを取りながら仕事をする生き物なんだと思っています。

まあ要するに、仕事や作業、あとはチームのカルチャーなどの特性によって、情報共有の度合いなども調整しないといけないね、という話なのですが・・・

ワタシ、自分は『情報共有至上主義』くらいに考えているので、そっちの立場から、この考え方には反対したいと考えています。

優先すべきは「スピード」

結局、自分がなぜ情報共有を推し進めないといけないと感じているかといえば、それはスピードを上げるためだと思っています。

え、外部からの干渉は少ないほうがスピード上がるよね?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは仕事のゴールや成果が明確に定義されている場合に限ります。

ここからは仕事や作業の内容に依存するところもありますが、少なくとも、新規事業の企画に近い業務をしている私のチームでは、むしろ素早いアウトプットとレビュー&レスポンスのほうが最終的な成果は大きくなるし、スピードも上がるという実感があります。

情報共有はコストがかかる・・・というのも、それは仕組みで解決すべき問題です。例えば私は、共有フォルダ上でオンラインで更新されているドキュメントに成果がまとめられていれば、それを手がかりに仕事の連携は可能だと考えているし、実際それで困ったことはありません。

つまり。情報共有って、出し手と受け手があって成り立つものなので、双方がコンセンサスを持って取り組まないと、効率的なものにならないっていうことなんです。ここを超えられるかどうかは結構大事だと思っています。

そんな中で、私が最悪だと思っている言説が以下です。

  • 『俺に分かるように説明しろ』
  • 『そんなことを俺に相談(報告)するな』

コミュニケーションのコンセンサスが取れていなシーンで良くある言説だと思っていて、一気にコミュニケーションのハードルが上がると共に心理的安全性が低下する要因でもあると思います。

一方で、こういった発言をリーダーや上司がしてしまっている現場も多いでしょうし、あるいは「そう言われるかもしれない」と忖度して、コミュニケーションコストが(勝手に)増大している組織もあると思います。これはつまり、前述の「情報共有しない人」の思考パターンにも類似したところがあると思います。

情報共有は、民主性が試されている

私がここで申し上げたいのは、こういった状況を避けるためにも、きちんと情報共有、コミュニケーションのコンセンサスを取って進められないか、ということなんです。

そうすれば、情報共有しないほうが効率的っていうシーンはもっと減らせるし、情報共有でパフォーマンスを挙げられる業務はもっと増やせるのではないかと考えています。

一方で、情報共有をしないってことがいかに権威主義であるかも改めて感じました。もちろん、情報格差マウンティングにも繋がります。もしかしたら、こういう考え方をしてしまう人は、過去、こういったマネジメントの中で仕事をしてきた経験のある人なのかもしれないと思っています。

要するに、民主化です。情報共有、情報開示がいかに民主的な活動か、ということを認識すれば、こちらをベースにした組織運営こそあるべき姿かと考えています。

最後に・・・もちろん、これは業務や作業の性質によるところが無いとは言い切れませんよ、という前提は付きます。

sponsored link

down

コメントする




このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

中の人

しまりん

しまりん

自称クラウドエンジニア。ブログサーバーの性能改善に勤しむ一方、新しい技術は「動かしてみないと」「触ってみないと」気が済まない性分です。 新しいiPhoneやっぱり楽しい。



sponsored link

アーカイブ