趣味性とは、「何をするか」ではなく「どう関わるか」に宿るものではないか。車や不動産の合同オーナーサービスに感じていた違和感と、自分で行ったタイヤ交換をきっかけに、趣味における非効率や不便さの価値について考えてみました。効率だけで見れば無駄に見える手間も、自分で観察し、考え、記録し、次に活かすことで、対象との関係性を深める体験になる。AI時代に多くの作業が効率化されていく中で、人間に残る価値の一つは、あえて非効率を楽しみ、自分の時間を自分のものにしていく「趣味性」なのかもしれません。
「趣味性」について考えてみた
最近、「趣味性」って何なんだろう、ということを考えています。
結論から言うと、趣味性とは「何をするか」ではなく、「どう関わるか」に宿るものなのかなと思っています。つまり、趣味はWhatではなくHowです。
映画を見る。車に乗る。料理をする。本を読む。スキーに行く。こういう行為そのものが趣味なのではなく、その行為にどう関わるか、どこに手間をかけるか、何を面白がるか、どんな物語として自分の中に取り込むか。
そこに趣味性があるのでは、という話です。
合同オーナーサービスに感じていた違和感
このことを考えたきっかけの一つは、車や不動産の合同オーナーサービスです。
最近、車や別荘のような高額資産を、複数人で所有したり、必要なときだけ利用したりするサービスを見かけることが増えました。合理的には、とても分かります。車も不動産も、所有するとコストがかかります。税金、保険、メンテナンス、駐車場代、管理費など、使っていない時間にもお金がかかります。
なので、利用頻度が限られるなら、共同で持つ。あるいは必要なときだけ使う。これは非常に合理的です。ただ、個人的にはどうにも違和感がありました。サービスとして悪いという話ではありません。むしろ、合理的なサービスだと思います。ただ、自分の生活実感とは合わない感じがするのです。
私は自家用車を持って、毎週末のようにスキー場に通っています。冬になればスタッドレスタイヤを履かせます。スキーキャリアを付けます。荷物を積みます。天気予報を見ます。道路状況を見ます。ゲレンデ状況を見ます。行き先も直前に変えます。
この生活をしていると、車は単なる移動手段ではないんですよね。自分の週末の自由度を支えるインフラであり、スキーに行くための基地であり、季節の変化を受け止める道具でもあります。なので、「必要なときだけ予約して使う」という仕組みには、どうしても不自由さを感じてしまいます。
所有しているからこそ、いつでも使える。自分の使い方に合わせて、少しずつ最適化されていく。ちょっとした異音やタイヤの状態も、自分の生活の中で気になってくる。多分、こういう部分に趣味性があるんだと思います。
自分でタイヤ交換をして考えたこと
もう一つのきっかけは、先日行ったタイヤ交換です。XVハイブリッドのタイヤを、スタッドレスタイヤのPIRELLI ICE ZERO ASIMMETRICOから、夏タイヤのTOYO TRANPATH mp7へ履き替えました。
タイヤ交換は、毎回DIYで行っています。普通にカーショップやディーラーにお願いすれば、1時間くらいで終わる作業です。もちろん、プロに任せたほうが早いです。安全です。手も汚れません。腰にも優しいです。
それでも自分でやるのは、目的が「タイヤを交換すること」だけではないからです。タイヤを外したついでにホイールの裏側を洗い、摩耗状態を確認し、前後左右で減り方に違いがないかを見ます。足回りやブレーキ周りも、見える範囲で確認します。外したスタッドレスタイヤも洗って、どの位置に付いていたかを記録してから保管します。
詳細は別記事に書いています。

この作業をしていて思ったのは、タイヤ交換は単なるメンテナンスではなく、車の状態を確認する時間でもあるということです。夏タイヤの減り方、スタッドレスタイヤの摩耗具合、ホイールの汚れ、足回りの状態、次回のローテーションをどうするか。そういう情報が、自分の中に残ります。
ショップにお願いすれば、「交換しました」で終わるかもしれません。それはそれで正しいです。ただ、自分でやると、タイヤが単なる消耗品ではなく、自分の走り方や行動範囲を記録しているものに見えてきます。
もちろん、自分でやることが常に正解だとは思いません。危険な作業や無理な作業はプロに任せたほうがいいですし、時間効率だけで見れば、ショップにお願いするほうが合理的です。ただ、自分でタイヤ交換をすると、車との関わり方が少し深くなります。
冬タイヤを外すと、スキーシーズンが終わった感じがします。夏タイヤを履くと、車の走りも少し軽くなります。そういう季節感や、手を動かした実感まで含めて、車との付き合いなのだと思います。
趣味性には、効率を求めすぎてはいけない
タイヤ交換の話から考えたのは、趣味性には効率を求めすぎてはいけない、ということです。
もちろん、効率が悪ければ何でも良いという話ではありません。危険な作業は避けたほうがいいですし、無理な作業もよくありません。プロに任せるべきところは任せたほうがいいです。
ただ、趣味においては、無駄を全部削ると体験が痩せることがあります。タイヤ交換で言えば、最短ルートはショップに依頼することです。でも、それではホイールの内側の汚れは見えません。タイヤの減り方も気づきにくいです。足回りの状態も、保管方法の改善点も、自分の中には残りにくいです。
効率化は、余計なものを削ぎ落とします。一方で、趣味性は、余計なものに意味を見出します。この二つは似ているようで、見ている方向が違います。
車を単なる移動手段として見れば、タイヤ交換は面倒なメンテナンスです。でも、自家用車でスキー場に通う生活の一部として見ると、それはシーズンの切り替わりを感じる作業でもあります。こういう「本来なら面倒な部分」まで含めて楽しめるところに、趣味性があるのではないかと感じました。
趣味はWhatではなくHowである
もう一つ思ったのは、趣味はWhatではなくHowだということです。
「映画が趣味です」「読書が趣味です」「車が趣味です」「旅行が趣味です」「スキーが趣味です」。こういう言い方をよくします。でも、実際には同じ趣味でも中身は全然違います。
映画を見ると言っても、Netflixで見る人もいれば、映画館で見る人もいます。小さなシアターに行く人もいれば、レビューを書く人もいます。パンフレットを集める人もいます。
車が好きと言っても、新車を乗り継ぐのが好きな人もいます。古い車を維持するのが好きな人もいます。洗車が好きな人もいます。運転が好きな人もいます。整備が好きな人もいます。燃費を伸ばすのが好きな人もいます。
対象が同じでも、関わり方が違えば、趣味性はまったく変わります。つまり、趣味を探すときに大事なのは、「何を趣味にするか」だけではないのだと思います。むしろ、「どう関わると楽しいか」を見たほうが良い。
映画を見るなら、どこで見るのが好きなのか。読書なら、どう読むのが好きなのか。旅行なら、何をしている時間が好きなのか。料理なら、食べることより作る工程が好きなのか。車なら、運転なのか、整備なのか、洗車なのか、道具選びなのか。Howに目を向けると、定番の趣味でも自分らしさが出ます。
世の中には、「趣味がない」と感じている人がいます。ただ、それは本当に趣味がないというより、Whatで探しすぎているのかもしれません。人に説明しやすい趣味でなければいけない。それなりに詳しくなければいけない。長く続けていなければいけない。道具を揃えていなければいけない。そう考えると、趣味のハードルは上がります。
でも、趣味性はもっと小さなところから始まるのだと思います。たとえばコーヒーを飲むにしても、豆を選ぶのか、カップを選ぶのか、朝に飲むのか、夜に飲むのか、シナモンを入れてみるのかで、体験は変わります。読書でも、紙で読むのか、電子で読むのか、線を引くのか、読書メモを書くのかで変わります。
大げさな趣味を探す必要はないのかもしれません。自分がつい手間をかけてしまうところ。人から見ると無駄だけど、自分は気になってしまうところ。わざわざやってしまうところ。そのあたりに、すでに趣味性はあるのだと思います。
不便だからこそ得られるものがある
趣味に対して、「それ、意味あるの?」と言われることがあります。
自分で時間をかけてタイヤ交換する。ホイールの内側を洗う。装着位置を記録する。ローテーションパターンを考える。合理的な人から見れば、だいぶ変な行為です。
でも、趣味とはだいたいそういうものです。趣味に対して「それ無駄じゃない?」と言うのは、ラーメン屋でスープを飲みながら「水分補給としては塩分が多い」と指摘するようなものです。たぶん正しいです。でも、そういう話ではありません。
趣味には、無駄だからこそ体験価値が高いことがあります。生活の合理性だけで見れば、余計なものです。でも、その余計なものに意味を感じるから、趣味になります。
この話は、「不便益」にも近いと思います。不便であることによって、かえって得られる価値がある。自分でやるから分かる。時間がかかるから記憶に残る。手間があるから愛着が湧く。簡単に済まないから、次回への改善点が見える。
便利さは、障害物を取り除いてくれます。一方で、不便さは、関わりしろを残してくれます。タイヤ交換をショップに任せれば早いです。でも、自分でやると、車の状態が分かります。タイヤの癖が分かります。道具の改善点が分かります。次回の方針が生まれます。
つまり、不便さが情報を生む。そして、その情報が愛着を生む。このあたりが、趣味性のかなり大事な部分なのかなと思います。
合同オーナーサービスと趣味性のズレ
ここまで考えると、最初の合同オーナーサービスへの違和感も整理できます。
合同オーナーサービスは、合理的です。所有コストを下げる。利用効率を上げる。管理の手間を減らす。必要なときだけ使えるようにする。車や不動産を「利用するもの」として見るなら、とても正しいです。
ただ、趣味性は「利用する瞬間」だけにあるわけではありません。使っていない時間にもあります。
車なら、次の週末にどこへ行くか考える時間。タイヤの状態を気にする時間。洗車する時間。荷室の積み方を考える時間。スタッドレスに履き替えるタイミングを悩む時間。キャリアを外す時間。異音に耳を澄ませる時間。こういう、本来なら面倒な部分まで含めて、車との関係性になります。
不動産も同じだと思います。別荘を単なる宿泊場所として見るなら、ホテルや民泊で良いです。でも、庭を手入れする。近所の店を覚える。季節ごとの空気を知る。少しずつ家具を選ぶ。行くたびに、自分の場所になっていく。そういう部分に価値を感じる人にとっては、所有や専有の意味は大きいです。
合同オーナーサービスは、所有のコストを下げてくれます。ただし同時に、所有に伴う関わりしろも薄める場合があります。そこに、趣味性とのズレがあるのだと思います。
AI時代、人間に残るもの
ここから少し大きな話になります。
AI時代になり、人類は総効率化時代に入りつつあります。文章を書く、調べる、要約する、比較する、計画する、画像を作る、コードを書く。多くの作業が、以前より短時間でできるようになりました。
すると当然、「人間に何が残るのか」という話になります。創造性、感性、身体性、意思決定、責任、倫理。いろいろな答えがあると思います。
ただ、もっと生活実感に近いところで言うと、人間に残るものの一つは「趣味性」なのではないかと思います。つまり、非効率をあえて楽しむ力です。
AIは最適化が得意です。目的が明確で、評価関数があり、制約条件があれば、より良い手段を探してくれます。でも、人間はしばしば、目的よりも過程に価値を置きます。
早く着くためではなく、遠回りの道を選ぶ。安く済ませるためではなく、自分で道具を揃える。情報を得るためではなく、紙の本をめくる。移動するためではなく、車を整える。映画を見るためではなく、その映画を見るまでの時間も含めて楽しむ。
AIから見ると、これはかなり不可解かもしれません。未来のAIは、きっとこう言うでしょう。
「そんな無駄なこと……人間の価値観は理解に苦しみます」
でも、それで良いのだと思います。むしろ、それが正しいAIと人間の関係なのかもしれません。
趣味性とは、自分の時間を自分のものにすること
今回、タイヤ交換をしながら考えたのは、趣味性とは「自分の時間を自分のものにすること」なのかな、ということです。
効率だけで見れば、ショップに頼むのが正解です。でも、自分でやることで、車の状態が分かります。タイヤの履歴が分かります。次回の方針が見えます。道具の良し悪しも分かります。そして何より、自分の車に対する関わり方が少し深くなります。
趣味性とは、非効率の中に、自分だけの意味を見つける力なのだと思います。何をするかではなく、どう関わるか。映画でも、車でも、スキーでも、料理でも、読書でも、散歩でも、たぶん同じです。
効率化できることは、効率化して良いです。でも、効率化しないことで得られる価値もあります。ちょっとした手間や遠回りの中に、観察や愛着や自分なりの物語が生まれることがある。
こういうものは、AI時代において、ますます人間側に残る価値になっていくのではないかと思います。合理性の舗装道路から少し外れて、わざわざ砂利道を歩く。そこにこそ、景色があります。そして、その景色を面白がれることこそが、趣味性なのかなと思います。

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