先日、SoftBank World 2026の孫正義さんの特別講演を見ていました。
その中で印象に残ったのが、AIやロボットが人間の代わりに働くようになれば、人間は労働から解放され、いずれは自分が一番やりたいことをやる社会になる、という趣旨の話です。
AIが生活に必要な仕事を引き受け、人間は創作や研究、社会活動など、自分が本当にやりたいことに時間を使えるようになる。長期的には、そのような方向へ進むのだろうと私も思います。
ただ、最近読んだ東洋経済オンラインの記事を見ていて、労働から完全に解放されるよりも前に、別の変化が起きるのではないかと感じました。
それは、仕事とスキル習得が切り離されることです。
AIが人間を仕事から解放する前に、これまで仕事の中で一体になっていた成果と学習の関係が、先にほどけ始めているのではないか。そんなことを考えました。
仕事は、成果を出す場であると同時に、学ぶ場でもあった
東洋経済オンラインに、「生成AIは人々を豊かにしているのか? 世界の研究者が警鐘を鳴らす『思考力低下』の実態」という記事が掲載されています。
この記事では、生成AIに認知的な作業を任せることで、本来はその作業の途中で得られていた能力や経験まで失われる可能性が紹介されています。成果だけを見れば効率化されていても、その人の中に残るものまで含めると、本当に豊かになったと言い切れるのか、という話です。
これまで私たちは、仕事をしながら能力を身につけてきました。議事録を書くことで会議の論点を聞き分ける力が身につき、報告書を書くことで情報を整理し、重要な部分を抜き出し、相手に伝わる順番に並べる力が身につきます。
調査を繰り返していれば、情報源の信頼性や、もっともらしい説明の中にある違和感も、だんだん見えるようになります。システムを設計して失敗すれば、その原因を調べる過程で、教科書には書かれていない判断基準も形成されていきます。
こうした能力の多くは、研修として体系的に教えられたものではありません。仕事を終わらせようとして試行錯誤し、失敗し、やり直しているうちに、結果として身についていたものです。
つまり、仕事の成果と、その仕事を通じた能力形成は、これまで一つのプロセスの中に絡み合っていました。
ところが生成AIは、その途中にある認知的な作業を飛び越え、成果物だけを先に作ることができます。議事録は完成し、報告書も完成し、プログラムも動きますが、それを利用した人の中に、従来と同じ経験や判断基準が蓄積されているとは限りません。
成果物を作ることと、能力を身につけることが、地続きではなくなり始めています。
労働からの解放より先に、仕事の分解が起きる
AIによる労働からの解放という話を聞くと、ある日を境に、人間が働かなくてもよくなる未来を想像しがちです。
しかし実際には、それよりも前に、仕事の中で結びついていたさまざまな要素が、少しずつ分離していくのではないでしょうか。仕事が丸ごとなくなる前に、仕事を構成していた機能が、ばらばらにほどけていくということです。
仕事をすることと、成果物を作ること。成果物を作ることと、能力を身につけること。能力を持つことと、報酬を得ること。
組織に所属することと、社会的な信用を得ること。会社に通うことと、他者と協働することも、これまでは「会社で働く」という一つの仕組みの中にまとめられていました。
会社に所属し、決められた場所と時間で働き、仕事を覚え、成果を出し、その対価として給料を受け取り、生活する。この仕組みがあまりにも長く続いてきたため、私たちは、それぞれ異なる機能を一体のものとして捉えています。
AIは、その結びつきを一つずつほどき始めています。
ここで起きていることを表す言葉として、私は「アンタングル」がしっくりくると感じました。Untangleとは、絡まったものをほどく、もつれを解く、という意味です。
AIは仕事を丸ごと奪う前に、仕事の中に絡み合っていた成果、学習、報酬、所属、生きがいといった機能を分解しようとしているのではないでしょうか。
社会はこれまでもアンタングルを繰り返してきた
考えてみれば、こうした変化は生成AIから始まったものではありません。
リモートワークは、働くことと、会社の建物へ行くことをアンタングルしました。会社で働くこととオフィスにいることは、以前はほとんど同じ意味で扱われていましたが、少なくとも業務の遂行自体は、必ずしも同じ場所に集まらなくても可能であることが分かりました。
もちろん、リモートワークだけですべてがうまくいくわけではありません。雑談や人材育成、偶然の情報共有など、同じ場所に集まることによって成立していたものもあります。
ただ、それも実際に場所と仕事を切り離してみたからこそ、見えるようになった機能です。
成果による評価やフレックスタイムは、労働の価値と働いた時間をアンタングルしようとする試みです。長時間働いた人ほど大きな価値を生み出したとは限らないため、いつ、どれだけ長く働いたかよりも、何を生み出したかを評価しようとします。
これも完全に実現できているとは言いにくいですが、時間と価値を別々に考えようとする流れ自体は、すでに続いています。
クラウドは、情報システムを利用することと、自社でサーバーを所有することを切り離しました。インターネットは、情報を発信することと、新聞社や出版社などの大きな組織に所属することを切り離しました。
技術の進歩は、これまで一つだと思われていたものを分解し、その関係を別の形に組み替えてきたとも言えます。
生成AIは、さらに深いところをほどこうとしています。人間の認知作業と成果物、労働とスキル習得、専門知識と専門家、仕事と生きがいなど、これまで一体だと思われていた関係が分離し始めています。
会社で働き、給料をもらい、その過程で能力を身につけ、社会との接点を持つという当たり前の仕掛けそのものが、リビルドを迫られているように見えます。
AI時代には「センス」が重要になる
成果物を作る作業をAIが担うようになったとき、人間にはどのような能力が必要になるのでしょうか。
Forbes JAPANに掲載された「生成AI時代、最後に残る競争優位は『センス』である」という記事では、生成AIによって何かを作るコストが下がるほど、何を作るべきか、何を選ぶべきかを判断する力が希少になると論じられています。
AIは、短時間で大量の案を作ることができます。しかし、その中から何を選び、何を捨て、どこを直すのかは、人間が判断しなければなりません。
AIに指示を出す能力だけではなく、出てきたものを見て、自分なりの基準で良し悪しを断じる力が必要になります。
Forbesの記事では、こうしたセンスは、特定の領域への長年の没入や、その文化への「近さ」によって形成されるものとして説明されています。流行しているから選ぶのではなく、その領域に長く触れてきた人だからこそ分かる、微細な違いを見分ける力です。
ここから先は、この記事を読んで私が考えたことです。
センスというと、生まれつきの才能や、うまく説明できない直感のように聞こえます。しかし実際には、良いものと悪いものに数多く触れ、その違いを観察し、なぜ良いと思うのか、どこに違和感があるのかを考えることで、少しずつ形成されていくものではないでしょうか。
自分なりの基準で選び、ときには間違い、また判断し直す。その反復によって、良し悪しを見極める基準が蓄積されていきます。
文章であれば、多くの文章を読み、伝わる文章と伝わらない文章の違いを考えます。写真であれば、構図や光、被写体との距離によって印象がどう変わるのかを観察します。
ソフトウェアであれば、使いやすい画面と使いにくい画面を比べ、どこで操作に迷うのかを考えます。こうした比較と判断の積み重ねが、センスを作るのだと思います。
効率化によって、センスを磨く機会が失われる
これまでの仕事では、成果物を自分で作る過程を通じて、このセンスも身につけてきました。
何度も資料を作り、上司や顧客から指摘を受け、設計して失敗し、原因を調べ、別の設計と比較する。文章を書き直し、相手の反応を見ながら表現を変えるという試行錯誤そのものが、判断基準を形成する訓練になっていました。
ところが、成果物の作成をAIが担うようになると、この反復も省略されます。短時間で一定水準の成果物が得られる一方で、作る過程で経験していた失敗や比較、修正の機会は減っていきます。
仕事を効率化すればするほど、仕事を通じてセンスを身につける機会が失われるという、少し面倒な矛盾が生まれます。
だからといって、AIを使わず、従来どおり人間がすべてを作ればよい、という話ではありません。それではAIを使う意味がありませんし、実務としても現実的ではないでしょう。
必要になるのは、成果を生み出す工程と、人間が能力を形成する工程を、意識的に分けて考えることだと思います。
成果物を作る部分はAIによって効率化する。その一方で、人間は複数の案に触れ、比較し、なぜ良いのか、なぜ悪いのかを考える。
AIの最初の回答をそのまま採用するのではなく、別の選択肢を出させ、自分なりの基準で評価し、修正する。成果物を完成させるための作業とは別に、判断能力を鍛えるためのプロセスを用意する必要があります。
仕事と趣味もアンタングルされる
複数の案を比較し、細かな違いにこだわることは、短期的な生産性だけを見れば非効率です。すでに使える成果物があるのに、別の案を試し、なぜこちらが良いのかを考えることは、仕事の最短経路からは外れています。
しかし、この非効率な反復は、趣味の中ではごく自然に行われています。
好きなことであれば、人は頼まれていなくても何度も試します。必要以上に調べ、ほかの作品と比較し、わずかな違いにこだわるのは、効率よく終わらせることよりも、その違いを理解すること自体がおもしろいからです。
趣味の世界では、遠回りや寄り道は無駄ではなく、その営みの中心にあります。
写真が好きな人は、同じ場所で構図や露出を変えて何枚も撮ります。文章を書くのが好きな人は、誰に求められなくても表現を書き直します。
スキーが好きな人は、同じ斜面を繰り返し滑りながら、わずかな姿勢や荷重の違いを確かめます。外から見れば非効率でも、その試行錯誤自体を楽しみながら、自分なりの判断基準を作っています。
AI時代には、この趣味的な営みを、仕事の中にも取り込む必要が出てくるのではないでしょうか。
これは、すべての仕事を楽しいものにするという話でも、好きなことだけを仕事にするという話でもありません。仕事の成果を効率よく生み出すプロセスと、人間がセンスを身につけるために試行錯誤するプロセスを、同じものとして扱わなくなるということです。
これまで仕事は、効率、納期、成果を求める場所であり、趣味は、本人の興味に従って非効率な試行錯誤を楽しむ場所だと考えられてきました。しかし、AIによって成果を出すことと能力を身につけることが分離されると、この境界も曖昧になります。
仕事の中に趣味のような没入が入り込み、趣味の中で培った判断基準が仕事に持ち込まれるようになります。
ここでも、仕事と趣味はアンタングルされようとしています。
AIによって人間の作業が減るほど、人間には趣味的なこだわりが必要になる。能力の獲得は、本人が対象にどれだけ興味を持ち、違いを観察し、反復を続けられるかと切り離せなくなります。
効率化の先にあるのは、無駄のない仕事ではなく、どのような遠回りを意識的に残すかを設計する仕事なのかもしれません。
アンタングルの後には、リビルドが必要になる
絡まったものをほどけば、それだけで問題が解決するわけではありません。むしろアンタングルによって、それまで一つの仕組みに隠れていた機能が露出します。
出社をなくしてみると、雑談や偶然の情報共有が果たしていた役割に気づきます。成果物の作成をAIに任せてみると、その作業過程が人材育成になっていたことに気づきます。
会社への所属を弱めてみれば、組織が給料だけでなく、社会的信用や人間関係、学習の機会まで提供していたことも見えてきます。
アンタングルは、既存の仕組みを壊す行為というより、その仕組みが担っていた複数の役割を可視化する作業だと考えた方がよいのかもしれません。ほどくことで、今まで意識していなかった機能が初めて見えるようになります。
そして、ほどいた後にはリビルドが必要になります。
AIが成果物を作るなら、人間の学習機会をどこに置くのか。時間で評価しないなら、成果や貢献をどう測るのか。出社を前提にしないなら、信頼関係や知識共有をどう設計するのか。
これまで一つの制度がまとめて担っていた機能を、分解したまま放置するのではなく、別の形で配置し直す必要があります。
それはリビルドなのか、リタングルなのか
ここで注意したいのが、一度ほどいたものを、以前と同じ形に結び直そうとする動きです。
例えば、リモートワークから出社勤務へ戻す企業があります。対面でのコミュニケーションや人材育成、組織文化の形成には、確かに物理的な場所が持つ利点がありますし、リモートワークだけでは十分に代替できなかった機能があったことも事実でしょう。
そのため、出社回帰そのものを否定する必要はありません。
ただし、それがアンタングルによって明らかになった課題を踏まえたリビルドなのか、単に以前の状態へ戻すリタングルなのかは、見極める必要があります。
対面で集まる目的を明確にし、共同作業や学習、関係構築のためにオフィスを再設計するのであれば、それはリビルドです。
一方、社員が目の前にいないと管理できないから、以前からそうしていたからという理由で、時間と場所を再び一体化するのであれば、それはリタングルに近いでしょう。
外形的には同じ出社でも、以前の構造をそのまま再現するのか、アンタングルによって見えてきた機能を新しく設計し直すのかで、意味は異なります。
元に戻ることと、作り直すことは、似ているようで別のものです。
これは、生成AIの導入でも同じです。
AIを使って従来の業務を高速化するだけなら、古い仕事の構造を維持したまま、作業速度だけを上げていることになります。
AIによって不要になった工程を取り除き、人間の判断、学習、人材育成、評価、役割分担まで組み直すのであれば、初めてリビルドになります。
何をほどき、どう結び直したいのか
AIをめぐる議論では、「どの仕事がなくなるのか」「人間は働かなくてよくなるのか」という問いが注目されがちです。
しかし実際には、仕事が丸ごとなくなるより先に、仕事の中で結びついていた要素が分離していくのではないでしょうか。
成果物を作ることと能力を身につけること、働くことと生活すること、組織に所属することと社会に参加することが、それぞれ別のものとして見えるようになります。
時間を使うことと価値を生み出すこと、仕事をすることと趣味的に対象へ没入することも、AIによって関係を見直されます。
AIは、これまで当たり前に絡み合っていたものをアンタングルする力を持っています。その結果として、私たちは、仕事という仕組みに何を残し、何を別の場所へ移すのかを考えなければならなくなります。
問われているのは、AIを使うか、使わないかだけではありません。
何をほどくべきで、何を残すべきなのか。ほどいた機能を、どのような形でリビルドしたいのか。そして、変化への不安から、古い関係をそのままリタングルしようとしていないか。
私たちは今、「仕事の未来」を予測するだけではなく、これまで仕事という仕組みに埋め込まれていたものを、一つずつ確認する段階に来ているのだと思います。
人間が自分の一番やりたいことをやる社会は、AIが進歩すれば自然に現れるものではありません。
AIがほどいたものを、私たちがどう結び直すかによって作られる社会です。労働からの解放よりも先に、何がアンタングルされ、どうリビルドされるのかを考える必要があるのだと思います。

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