「無心」で進むと、なんとかなるって話

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週末、木更津の中の島大橋を渡って、中の島公園を散策してきました。

中の島大橋は、木更津港にかかる赤い歩道橋です。木更津市の案内では、高さ27メートル、長さ236メートルの「日本一高い歩道橋」とされています。写真で見ると、空に向かって大きく伸びる赤い橋が海の上をまたいでいて、かなり印象的です。橋そのものの形もきれいですし、周囲に建物が密集していないので、空と海の広がりがよく見えます。

観光スポットとしては、とても良い場所だと思います。ただし、私にとっては少し話が変わります。かくいう私は、高所恐怖症です。

日本一高い歩道橋は、ちゃんと高かった

中の島大橋は歩道橋なので、普通に歩いて渡れます。自動車が通る橋ではありませんし、歩道も整備されています。橋を渡った先には中の島公園があり、海沿いを散策するにはちょうど良い場所です。

とはいえ、高いものは高い。

ビルの8階、9階くらいの高さと考えると、数字としてはなんとなく想像できます。ただ、建物の中にいるときの高さと、海の上を歩いて渡るときの高さは、身体への伝わり方がだいぶ違います。

ビルの中なら、床があり、壁があり、窓があります。自分の身体は建物の中に包まれている感じがします。

ところが橋の上では、左右の視界が抜けます。下には水面があります。風もあります。手すりも歩道もあるので、安全に歩ける場所であることは頭では分かっています。それでも、身体のほうはなかなか納得してくれません。

渡り始めてすぐ、「あ、これは思ったより来るな」と思いました。

足がすくんで動けない、というほどではありません。ただ、妙な緊張感があります。頭のどこかで「大丈夫」と分かっているのに、身体は「本当に大丈夫か」と聞いてくる。しかも何度も聞いてくる。なかなかしつこいです。

観光に来たはずなのに、途中からちょっとした修行になっていました。

高所恐怖症は、たぶん安全装置が少し敏感すぎる

高所恐怖症というと、単に「高いところが苦手」という話に見えます。もちろんそれはそうなのですが、実際にはもう少し身体寄りの反応なのだと思います。

高い場所に立つと、目から入る情報がかなり変わります。地面が遠い。足元の基準が取りづらい。景色が広く抜ける。水面が見える。風を感じる。

そうなると、脳は「いま自分の身体は安定しているのか」をいつもより慎重に見始めます。高さを怖がること自体は、人間としてかなり自然な反応です。落下は本当に危険ですから、高い場所に対して慎重になることは、生存戦略としては正しいはずです。

ただ、高所恐怖症の場合、その安全装置が少し敏感に働きすぎるのだと思います。

中の島大橋は、普通に歩くぶんには整備された歩道橋です。天気が荒れているわけでもなく、手すりを越えるようなことをするわけでもありません。いま目の前で危険が起きているわけではない。

それでも、身体は反応します。

汗が出たり、心拍が上がったり、足元を見たくなったり、橋の先がやたら長く見えたりします。そして、その身体反応を見て、脳がまた不安になります。

「こんなに汗が出ているということは、やはり危ないのではないか」と思ってしまうわけです。

ただ、冷静に考えると、危ないから汗が出ているのではなく、汗が出ているから危ない気がしているだけかもしれません。このあたり、なかなか厄介です。

監視システムでいえば、アラート自体がさらにアラートを呼ぶ状態です。実障害は起きていないのに、監視画面だけが赤くなっていく。担当者が慌て、慌てた担当者を見て周囲も慌てる。気づいたら対策会議が立ち上がる。インシデント管理としては、あまりよろしくありません。

怖くなくなったわけではない

今回、自分の中で少し面白かったのは、橋を渡り切ったあとも「高所恐怖症を克服した」という感じではなかったことです。

怖かったものは怖かったです。

途中で景色をじっくり楽しむ余裕があったかと言われると、正直そこまでではありません。写真を撮るなら下から撮りたい。橋の上からの景色も良いのでしょうが、景色が良いということは、それだけ高さもよく分かるということです。観光地としての魅力と、高所恐怖症への刺激が同じ方向を向いています。よくできています。困ります。

それでも渡れました。

そのときに自分の中で効いたのが、「無心」でした。

ただ、この「無心」は、気合いで恐怖を消すような話ではありません。「怖くない、怖くない」と唱えるのとも違います。むしろ、「怖いかどうかを考え続けるのをやめる」に近い感覚でした。

怖いかどうかを考えたら、当然怖いです。落ちたらどうしよう、途中で動けなくなったらどうしよう、風が吹いたらどうしよう、橋が揺れたらどうしよう。そういう想像は、考え始めるといくらでも出てきます。

もちろん、リスクを考えること自体は大事です。ただ、考えるべきタイミングと、考え続けてはいけないタイミングがあるのだと思います。

橋を渡る前には、渡って大丈夫かを確認します。天候を見るし、足元も見る。無理そうなら引き返す。それは必要な確認です。しかし、いったん「普通に渡れる」と判断したあとも、起こりうることを頭の中で回し続けると、そこから先は確認ではなく反芻になります。

反芻は、だいたい行動を止めます。

起こりうるリスクと、いま起きていることを分ける

橋の上で頭に浮かんでいたのは、ほとんどが「起こりうるリスク」でした。

落ちるかもしれない。怖くなるかもしれない。足が止まるかもしれない。

ただ、いま実際に起きていることだけを見ると、少し景色が変わります。自分は歩道の上に立っていて、手すりがあり、天気は荒れていません。周囲にも人がいて、一歩ずつなら歩けています。高い場所なので慎重であるべきなのは当然ですが、少なくともその瞬間に何か危険が発生しているわけではありませんでした。

それでも、「起こりうること」を考えすぎると、「いま起きていること」まで非常事態に見えてきます。

これは仕事でもよくある気がします。

新しい企画を出す前に、否定されたらどうしようと考える。顧客に話を聞く前に、的外れだったらどうしようと考える。ブログを書く前に、うまくまとまらなかったらどうしようと考える。AIを使う前に、間違えたらどうしようと考える。

どれも、考えること自体は悪くありません。むしろ必要です。ただ、ずっと考えているだけでは何も進みません。リスク検討が、いつの間にか行動しない理由を量産する装置になることがあります。

中の島大橋でも、考え続けていたら足が止まっていたと思います。

だから、意識する対象をかなり絞りました。橋全体を見るのではなく、次の一歩を見る。怖さを評価するのではなく、呼吸を整える。先の長さを考えるのではなく、いま歩いている場所から視線を少し前に置く。そのくらいまで狭めると、なんとか進めます。

無心は、思考停止ではなく実行モードへの切り替え

ここで言う「無心」は、何も考えないことではありません。

むしろ、考えるべきことを考えたあとで、実行中の処理を減らすことです。橋を渡る前には確認する。危なければやめる。渡れると判断したら、あとは歩くことに集中する。

これはスキーにも似ています。

急斜面に入ったとき、「怖い」「転んだらどうしよう」「斜度がきつい」と考え続けると、身体が遅れます。そういうときは、「外足」「目線」「次のターン」くらいまで意識を絞ったほうが、かえって動けることがあります。

高所恐怖症でも同じでした。

「橋を全部渡る」と考えると大きい。「まだ半分もある」と考えるとしんどい。でも、「次の数歩」ならできます。行動単位を小さくすると、その範囲では「まあ、この一歩では何も起きない」と思えます。

もちろん、これは乱暴な意味での「何も起きない」ではありません。手すりを越えるわけでも、走るわけでも、危ないことをするわけでもない。ただ歩道の上を一歩進むだけです。その一歩に限れば、リスクはかなり小さい。

ならば、その一歩は無心で進めばいい。

これを繰り返すと、結果として橋を渡り切ることができます。

克服というより、怖いまま進めた

高所恐怖症については、認知行動療法や曝露療法といったアプローチが知られています。怖い対象や状況に対して、安全な範囲で少しずつ向き合い、反応の仕方を変えていく考え方です。

ただ、日常の体験として考えると、「克服」という言葉は少し大げさに感じます。

克服というと、怖くなくなることを目指してしまいます。でも、怖さをゼロにすることを目標にすると、少しでも怖かった時点で失敗になります。今回の私は、変な汗をかいている時点で完全にアウトです。

でも、「怖いままでも行動できた」と考えると、見え方が変わります。

怖くなかったわけではありません。汗も出ましたし、途中で景色を楽しむ余裕もあまりありませんでした。それでも橋を渡り切って、中の島公園まで行くことはできました。

これは、けっこう大きいことだと思います。

怖さを消すのではなく、怖さがある状態で行動を完了する。高所恐怖症との向き合い方としても、仕事や日常の行動原則としても、このほうが実用的です。

リスクは見る。ただ、見続けない

今回の体験から一つ持ち帰ったのは、「リスクは見る。ただし、見続けない」という感覚です。

リスクを見ないのは危ないです。怖さを無視するのも違います。高い場所を怖いと感じること自体は、身体を守るための警告でもあります。

ただ、警告が鳴りっぱなしになると、今度は必要な行動まで止まります。だから、まずリスクを確認し、必要な準備をして、危ないと感じるならやめる。そのうえで、大丈夫そうだと判断できるなら、行動を小さく分けていく。大きな不安に向き合うのではなく、自分が処理できる大きさまで落とす、ということです。

橋なら、次の数歩まで小さくする。仕事なら、まず1本メールを書くところまで小さくする。企画なら、まず1人に話を聞くところまで小さくする。ブログなら、まず見出しだけ置くところまで小さくする。AI活用なら、まず小さな作業で試すところまで小さくする。

この単位まで落とすと、「この一歩では大きな事故は起きない」と思える範囲が作れます。その範囲に入ったら、あとは無心で淡々とやる。

これは勇気というより、運用です。

気合いで恐怖をねじ伏せるのではなく、恐怖が鳴っていても進める手順を作る。脳内のアラートを完全停止するのではなく、対応済みにして作業に戻る。高所恐怖症でも、仕事でも、たぶんこのほうがうまくいきます。

中の島大橋は、ちょうどよい実地訓練だった

中の島大橋は、散策スポットとして良い場所でした。橋の造形もきれいですし、海の上を歩いて渡る感覚もあります。渡った先の中の島公園も、少し歩くにはちょうど良い場所です。

ただ、私にとってはそれ以上に、「怖さと行動を分ける」ための実地訓練になりました。怖いからできない、ではなく、怖いけどできる。この差は大きいです。

人生には、だいたい橋があります。実際の橋もあれば、仕事上の橋もあります。渡る前から考えすぎると、どの橋も怖く見えます。もちろん、壊れた橋を渡ってはいけません。そこはちゃんと確認するべきです。

でも、確認して、渡れる橋だと分かったなら、あとは一歩ずつ進むしかありません。無心で、淡々と。

中の島大橋は、そのことを考えるには十分すぎるくらい高い歩道橋でした。日本一高い歩道橋で、日本一ではないにせよ、自分としてはなかなか大きな一歩だったと思います。

変な汗はかきました。でも、渡れたのでよしとします。

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