「育成キャンセル」と「成長キャンセル」。人が育たない組織はどうできるのか

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少し前に、「育成キャンセル」という言葉について記事を書きました。

管理職が部下や後輩への指導を積極的に行わない。何度教えても改善しないかもしれないし、言い方を間違えればハラスメントと受け取られるかもしれない。自分自身も忙しい。それなら必要以上に踏み込まない方がいい、という話です。

そのとき考えたのは、キャンセルした結果として起きる不具合を、誰が被るのかということでした。風呂をキャンセルして翌朝気持ちが悪いのであれば、基本的には本人の問題です。一方で、育成をキャンセルしたことで部下が必要なフィードバックを受けられず、人が育たないのであれば、その影響は本人以外のところにも出ます。

だから、「何をキャンセルしたのか」だけを見るのではなく、その結果として起きることがどこへ行くのかを見た方がいいのではないか。前の記事では、そんなことを考えました。

その後、今度は「成長キャンセル界隈」という言葉を見かけました。

またキャンセルするのか、と思ったわけです。

「成長したくない」という話なのか

最初に少し注意しておくと、「成長キャンセル界隈」という言葉そのものは、「育成キャンセル」のように調査で定義されていたり、広く定着した用語として確認できたりするものではありませんでした。現時点では、最近の「○○キャンセル界隈」の文法を、若手の仕事観に当てはめた表現くらいに考えておいた方がよさそうです。

ただ、この言葉が指しているらしい仕事観には、確かに思い当たるところがあります。

必要以上に頑張らない。給与に見合う範囲で仕事をする。昇進のためにプライベートを犠牲にしたり、「成長になるから」という理由だけで余分な仕事を引き受けたりしない。会社のために必要以上の負荷を引き受けることに、以前ほど価値を感じないという考え方です。

実際、野村総合研究所が2014年と2025年の就業価値観を比較した調査では、日本で「人並み程度の仕事をすればよい」と考える人が62.0%から67.3%に増え、2025年には20代、30代で7割を超えています。「出世や昇進のためには、多少つらいことでも我慢したい」という回答は46.7%から37.2%に低下しており、NRIはこうした変化を「頑張らない働き方」の定着として整理しています。

これだけを見ると、「最近の若者は成長したくなくなった」という話にしたくなります。

ただ、別の調査を見ると、それほど単純でもありません。マイナビの「ライフキャリア実態調査2026年版」では、20代正社員の59.1%が「昇進したい」と答えており、すべての年代で最も高くなっています。「様々な職業を経験したい」「将来は独立したい」「社会的地位を得たい」といった項目でも、20代は他の年代より高い傾向が出ています。

となると、成長そのものを拒否していると考えるのは、少し雑な気がします。成長するためなら何でも引き受ける、という考え方から距離を置いている。あるいは、成長に対しても「その負担に見合うものが返ってくるのか」を見るようになった、と考えた方が近いのかもしれません。

「成長」にも投資判断がある

会社にいると、ときどき「この仕事は大変だけど、成長になるから」という言葉を聞きます。

でも、「成長になる」というのは、よく考えると随分あいまいな説明です。

仕事量は増える。責任も増える。残業が増えるかもしれない。それに対して給与がすぐ増えるわけではないし、その会社に何十年もいる保証もありません。そこだけを見れば、「それだけ負荷を増やして、何が返ってくるのか」と考えるのは、それほどおかしな話ではありません。

私はこれを、成長にも投資判断が入るようになった、と考えると分かりやすいように思います。ただし、この投資判断は結構難しいものです。

難しい仕事を引き受けた瞬間には、単に仕事が増えただけに見えます。しかし、その過程で顧客との交渉を覚えたり、一人でプロジェクトを回せるようになったり、新しい技術を身につけたりすれば、その能力は会社を辞めても自分の中に残ります。

今振り返ると、「あのときは面倒だったけれど、あれを経験したから今この仕事ができる」と思える仕事は結構あります。こういう経験を一度すると、仕事の見方は少し変わります。目の前で追加される負荷だけではなく、その仕事から自分が何を持ち帰れるのかを見るようになるからです。

逆に、こうした成功体験がまだ少ない状態では、「給料は変わらないのに仕事だけ増えた」と感じても不思議ではありません。成長への投資判断には、目の前の負荷と、何年か後に返ってくるものをつなげて考える必要があり、その解像度は「頑張ったことが後になって効いてきた」という経験をどれだけ持っているかでも変わるのではないかと思います。

もちろん、何でも「成長になる」で正当化してよいわけではありません。意味のない残業や、本人に何も残らない雑務まで成長機会と呼び始めたら、それは単なる言い換えです。問題は、今やっていることが将来どんな能力や選択肢につながるのかを、本人が判断できる状態になっているかどうかです。

ここで、一つ疑問が出てきます。その判断を、全部本人任せにしてよいのでしょうか。

育成キャンセルと成長キャンセルはつながっているのではないか

ここまで考えたところで、前回の「育成キャンセル」と今回の「成長キャンセル」が、別々の現象ではないように見えてきました。

ライトワークスが2026年に行った調査では、部下の育成や指導を担当する30代から50代の管理職443人のうち、18.1%が意識的に、43.1%が「気づけば」部下への指導を積極的に行わずやり過ごす状態になったことがあると回答しています。合わせると61.2%です。

一方で、同じ調査の20代社員443人では、78.2%が「ハラスメントに当たらない範囲での率直な指導やフィードバック」を求めています。上司は言わなくなっているのに、若手は必ずしも言われたくないわけではない。前の記事でも気になったところです。

そして、管理職が育成を控えることで失われるのは、単に仕事のやり方を教えてもらう機会だけではありません。「なぜこの仕事をするのか」「この経験で何が身につくのか」「いま苦労していることが次の何につながるのか」といった、仕事と成長の間にある因果関係を知る機会も減っていきます。

そうなると、追加の仕事は単なる追加負荷に見えやすくなります。何が得られるか分からない仕事に時間を使うくらいなら、給料分だけ働いた方がいい。本人の立場では、それなりに筋の通った判断です。

一方で、管理職から見れば、「本人に成長する気がないのなら、時間をかけて教えても仕方がない」と感じるかもしれません。そこでさらに育成を控えれば、若手からはますます仕事と成長のつながりが見えなくなります。

もちろん、これは育成キャンセルが成長キャンセルを生むという因果関係が実証された話ではありません。ここからは私の仮説です。ただ、育成を控えることで成長の意味が見えにくくなり、成長を求めなくなった部下を見て、さらに育成を控える。そんな循環は十分ありそうです。

上司も若手も、それぞれの立場ではそれほど無茶な判断をしているわけではありません。それでも、その判断が組み合わさった結果として、人が育たない組織が出来上がる。前の記事で考えた「個人にとって都合のよいキャンセルが、組織には不具合を残す」という話が、今度は循環し始めるわけです。

育成も成長も「持ち出し」になっている

では、この循環をどう止めればよいのでしょうか。

若手に「もっと成長意欲を持て」と言うだけでは、おそらく変わりません。管理職に「部下を育てるのは仕事だ」と言うだけでも同じです。

両者を並べてみると、共通しているものがあります。育成する側から見ると、部下の相談に乗り、仕事を教え、フィードバックをする時間は、自分の通常業務に追加される負荷になりがちです。その分、自分の仕事が減るとは限りませんし、うまくいかなければコミュニケーション上のリスクまであります。

成長する側から見ても、難しい仕事を引き受け、時間を使い、失敗する可能性を受け入れる一方で、その先に何が得られるのかがよく分からない。要するに、育成する側も成長する側も、それを「自分の持ち出し」として認識しやすいわけです。

だとすれば、まず変えなければいけないのは、ここなのだと思います。

育成は管理職の善意で行うものではなく、業務として扱う。成長も、本人が仕事の外で勝手に頑張るものではなく、仕事の中に組み込む。

「後輩なんだから面倒を見てあげよう」「将来のためだから頑張ろう」という気持ちは、あればありがたいものです。でも、それがなくなった途端に人が育たなくなるのであれば、組織の機能としてはかなり脆い。善意で補わなければ回らない部分を、なるべく仕組みの側に戻す必要があります。

「成長できます」だけでは投資判断できない

もう一つ必要なのが、「成長」という言葉をもう少し具体的にすることです。

「この仕事をすれば成長できます」では、本人は何に投資しているのか判断できません。例えば、「この案件は成長になるよ」ではなく、「この案件では顧客との要件調整を主担当として経験する。その経験を積めば一人で要件定義を担当できるようになり、次はプロジェクトリードを任せられる」というところまでつなげる。

これなら、追加で引き受ける負荷と、そこから得られるものを比較できます。

それでもやりたくないという人はいるでしょう。それは本人の判断です。でも、何が得られるのか分からないまま「成長になるからやれ」と言われるのと、何を経験し、何ができるようになるのかを知ったうえで選ぶのとでは、随分違います。

さらに、成功体験がまだ少ない人にとっては、「仕事と成長のつながりを見る方法」そのものを学ぶことにもなります。そう考えると、育成というのは単に作業方法や知識を教えることではないのかもしれません。この経験にはどんな意味があり、あとで何につながるのかを理解できるようにすることも、育成の一部なのでしょう。

ここまで考えていて、ふと、これはどこかで見たことのある設計問題だなと思いました。

会社が研修を用意したのに、誰も受講しない。1on1を制度化したのに、予定を消化するだけになっている。そんなとき、「社員の意識が低い」「管理職がちゃんと運用しない」と言いたくなります。

でも、これをプロダクトマネジメントの問題として考えると、少し見え方が変わります。

育成と成長をプロダクトマネジメントの手法で考える

プロダクトマネジメントでは、利用者が使わないという事実を、単純に利用者側の問題として片付けるわけにはいきません。利用者は何に困っているのか、何に価値を感じるのか、どこに使いにくさがあるのかを見ながら、提供する価値や仕組みを調整していきます。

この手法を、育成や成長にも持ち込めないでしょうか。

ここで見る相手は、若手だけではありません。育成する管理職も含まれます。管理職が育成を避けるのであれば、「管理職としての意識が低い」で終わらせず、どこに負担があり、なぜ育成より自分の仕事を優先するのかを見る。若手が成長機会を避けるのであれば、「最近の若者は意欲がない」と片付けず、その仕事から得られるものが本当に伝わっているのかを見る。

そのうえで、どんな経験を積み、何ができるようになり、それによってどんな選択肢が増えるのかを設計する。その手段は研修とは限りません。実際の案件かもしれないし、OJT、レビュー、メンタリング、あるいは社内異動かもしれません。何を実施したかではなく、その結果として何ができるようになったのかを見る。

もちろん、人をプロダクトとして扱うという意味ではありません。プロダクトマネジメントの手法を使って設計する対象は、育成や成長が成立するための仕組みの方です。

本人が管理職になりたくないこともありますし、会社が期待する方向とは別の専門性を伸ばしたいこともあります。だからこそ、会社が決めた一本道を歩かせるのではなく、何を身につければどんな選択肢が増えるのかを見えるようにする必要があります。

会社が必要とする能力と、本人が増やしたい選択肢。その両方が重なるところを探し、実際に機能しているかを見ながら直していく。育成と成長にプロダクトマネジメントを持ち込むというのは、そういうことなのだと思います。

まず、育成と成長を通常業務として扱う

実際に組織でやるなら、最初に変えるべきなのは、育成や成長を「余裕があればやること」として扱わないことだと思います。

管理職に部下育成を求めるのであれば、そのための時間を最初から業務量の中に入れる必要があります。通常業務を100%持たせたうえで、「空いた時間で育成もお願いします」では、育成はどうしても後回しになります。

若手側も同じです。資格取得や技術習得を会社として必要とするのであれば、「自己研鑽だから自宅でやってください」ではなく、少なくとも会社が求める能力については業務時間の中で学べるようにする。難しい案件に挑戦させるのであれば、通常案件と同じ生産性を最初から求めない。

育成や成長を重要だと言いながら、そのための時間だけは個人が捻出するという状態をやめるわけです。

ここで大事なのは、善意や向上心を否定することではありません。面倒見のいい上司や、自分から学ぶ社員がいることはもちろんプラスです。ただ、それを組織の機能が成立するための前提条件にはしない方がいい。

感情や善意がなくても、育成と成長が回る状態を作っておく。そのうえで善意や向上心が乗れば、さらに良くなる。順番としては、その方が健全だと思います。

成長のリワードを、できるところまで具体化する

次に必要なのが、「成長」という言葉の中身を細かくすることです。

この案件では何を経験するのか。その経験によって何ができるようになるのか。その能力は次のどんな仕事で使えるのか。さらに、それが社内の役割や評価、異動、場合によっては社外での市場価値にどうつながるのか。

ここまで分解して、できる範囲で見えるようにする。

例えば、顧客との要件調整を経験するのであれば、「コミュニケーション能力が上がる」という曖昧な説明ではなく、「曖昧な要求を聞き出し、要件として整理し、関係者と合意形成できる」という能力として表現した方がいい。

さらに、その能力が身につけば、一人で要件定義を任せられる、次は一定規模の案件でリーダー候補になる、とつながれば、本人にも成長の先がかなり見えやすくなります。

こうしたものは、スキルマップやキャリアラダーとして既に持っている会社もあります。ただ、制度が存在するだけではあまり意味がありません。「この仕事を経験する」から「この能力が身につく」、さらに「この仕事ができるようになる」までがつながって見えることが重要なのだと思います。

育成する側にもリワードを定義する

同じことを、育成する側にも考える必要があります。

管理職にとって、部下育成の成果はかなり見えにくいものです。自分が時間をかけて教えた結果、半年後に部下が仕事を任せられるようになったとしても、それが管理職自身の成果としてどこまで評価されるかは、会社によってかなり違います。

一方で、自分の売上やプロジェクトの納期は明確に評価されます。そうなれば、忙しいときにどちらを優先するかはかなり分かりやすい。

育成を本当に組織として必要な仕事とするのであれば、部下に任せられる仕事が増えた、特定の人に依存していた仕事を移管できた、後任候補を育てた、といった変化も、管理職の成果として認識できるようにした方がいいと思います。

もちろん、「部下を何人昇進させたか」のような単純な数値に置き換えればよいという話ではありません。数値化しやすいものだけを追えば、また別の歪みが生まれます。

見るべきなのは、育成行為そのものを何回やったかではなく、その結果としてチームや本人の状態がどう変わったのかです。

可視化するのは、人そのものではなく変化

ここまで来ると、測るものも変わってきます。

研修受講率が90%だった。1on1を毎月実施した。eラーニングを10コース受けた。これらは、何かを実施したことの記録です。

人材育成で本当に見たいのは、その結果として何が変わったのかでしょう。以前は上司のレビューが必要だった仕事を一人で完結できるようになった、顧客との打ち合わせを任せられるようになった、担当できるシステムや業務の範囲が広がった、といった変化です。

もちろん、人の能力をすべて数値化して管理しようという話ではありません。そこまでやると、今度は数値に合わせて人を見るようになってしまいます。

必要なのは、本人と管理職が「何を経験し、何ができるようになり、次に何を任せられるのか」をある程度共有できる状態です。

それが見えていれば、本人も「何が身についたのか」を認識できますし、管理職も「次に何を経験させればよいか」を考えやすくなります。さらに、同じ育成施策を繰り返しても能力変化につながっていないのであれば、その施策自体を見直す材料にもなります。

何をやったかではなく、何が変わったかを見る。ここにも、プロダクトマネジメントの考え方を持ち込む意味があります。

人が育たない組織では、価値交換が壊れている

ここまで考えると、組織としてやるべきことはそれほどばらばらではありません。

育成と成長を通常業務として扱い、個人の持ち出しにしない。善意や向上心を前提条件にしない。成長によって得られるものをできるだけ具体化し、育成する側にもその成果が返るようにする。そして、研修や1on1の実施回数ではなく、本人やチームにどんな変化が起きたかを見ながら仕組みを直していく。

これらは、人を管理しやすくするための施策ではありません。育成する側と成長する側の間で、何を出し、何を得るのかを分かるようにするためのものです。

本来、管理職は時間や経験を使って部下を育て、その結果として任せられる仕事が増えれば、自分やチームの負担を減らすことができます。若手は、少し難しい仕事や失敗する可能性を引き受ける代わりに、会社の中だけではなく、その後にも残る能力や選択肢を得ます。

この交換が成立している限り、育成も成長も意味のある活動として認識できます。

ところが、管理職には「時間を使っても自分には何も返ってこない」と見え、若手には「余分に頑張っても仕事が増えるだけ」と見えるようになると、その交換関係は壊れます。そこで双方がキャンセルする方を選ぶのは、むしろ自然です。

人が育たない組織というのは、育てる気のない上司と、成長する気のない若手が偶然集まった組織なのではなく、育成と成長の価値交換が見えなくなった組織なのかもしれません。

だとすれば、キャンセルする人を説得することから始める必要はありません。なぜキャンセルする方が得に見えているのかを調べ、その理由を、時間配分、評価、リワード、役割設計、育成方法といった仕組みの側から一つずつ減らしていく。その過程で、本当に価値が出ているのかを見ながら改善を続ける。

前の記事では、「キャンセルした結果として起きる不具合を誰が被るのか」と考えました。今回は、その一つ手前まで戻って、「なぜその人はキャンセルするのか」を考えてみました。

そこを感情や意欲の問題だけで片付けず、価値設計の問題として扱う。そのためにプロダクトマネジメントの手法を持ち込む。

「育成キャンセル」と「成長キャンセル」という二つの言葉を並べて考えた結果、私にはそれが、人が育つ仕組みを作り直すための一つの入口に見えてきました。

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