AIを使わなくなった人は、なぜAIに失望したのか

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最近、仕事をしていて「ああ、この人はAIをあまり使っていなさそうだな」と感じることがありました。

もちろん、本人に確認したわけではないので、実際に使っているかどうかは分かりません。成果物だけを見てAI利用の有無を判定できるものでもありません。ただ、仕事の進め方やアウトプットを見ていると、少なくともAIを日常的な思考支援やレビューには使っていないように見えたのです。

そこで少し気になりました。なぜ、この人はAIを使わなくなったのだろう、と。

最初からAIを信用していない人や、業務上の制約があって使えない人もいます。ただ、今回なんとなく感じたのは、そういう話ではありませんでした。もしかすると一度は使ってみたものの、思ったような成果につながらず、「AIは使えない」と判断したのではないか。そんな可能性が頭に浮かびました。

さらに考えていくと、AIが期待どおりの答えを出さなかったことよりも、AIが出した答えを正解だと思って使ったのに、それが周囲から評価されなかったことのほうが、失望の原因として大きいのではないかと思い始めました。

これはあくまで、身近な観察から考えた仮説です。ただ、AIを使い続ける人と、早い段階で使わなくなる人の違いを考えるうえでは、割と重要な話ではないかと思っています。

「AIは良い成果物を作れる」と「今回の出力は正しい」は違う

生成AIは、かなり整ったアウトプットを作ることがあります。文章は読みやすく、論点も一通り並んでいて、資料の構成もそれらしく仕上がります。自分で一から作るより速く、場合によっては、自分では書けないような文章が出てくることもあります。

ここで起きやすいのが、「AIは良い成果物を作れる」という一般的な期待と、「AIが今回出したものは良い成果物である」という個別の判断の混同です。

AIの能力が高いことと、目の前に出てきた回答が正しいことは同じではありません。優秀な人に仕事を頼んだからといって、その人の提出物を毎回確認しなくてよいことにはならないのと同じです。

しかも、AIのアウトプットは見た目が整っています。事実関係に問題があったり、問いに正面から答えていなかったり、社内事情を外していたりしても、文章としては自然に読めてしまいます。ここが少し厄介です。

仕事で成果物が評価されるときに見られるのは、文章の読みやすさだけではありません。誰に向けたものなのか、その人に何を判断してもらいたいのか、必要な根拠がそろっているか、組織の前提や過去の経緯を踏まえているか、結論に責任を持てるか。こうした条件が合って、ようやく仕事として使える成果物になります。

AIは、与えられた情報から一般的に妥当そうな答えを作ることはできます。しかし、ユーザーが伝えていない評価条件まで、常に正確にくみ取ってくれるわけではありません。

評価を省略すると、失敗からも学べない

AIが出したものを正解だと思い、そのまま採用したとします。それが上司や顧客から評価されなかった場合、本人には何が起きるでしょうか。

自分で考えて組み立てた成果物であれば、少なくとも、なぜこの論点を選んだのか、なぜこの順番にしたのか、なぜこの結論にしたのかという思考の跡が自分の中に残っています。指摘を受けたときも、自分の判断のどこが違っていたのかを振り返ることができます。

ところが、AIに完成品を作らせ、その内容を十分に評価しないまま採用すると、その思考の跡が本人の中にありません。成果物は手元にありますが、それを支える設計図を持っていない状態です。

そのため、「内容が浅い」「求めていたものと違う」「この結論では判断できない」と言われても、どこを直せばよいのかが分かりません。なぜ評価されなかったのかが分からなければ、次にAIへ何を伝えればよいのかも分かりません。

AIに成果物を作らせる。整っているので採用する。しかし評価されない。理由が分からないので改善できない。何度か同じことが起きたところで、「結局、AIは使えない」と考える。

こういう流れは、十分にあり得ると思います。

実際、メルボルン大学とKPMGによる2025年の国際調査では、47か国の4万8,000人以上を対象にAIへの信頼や利用状況を調べています。その中で、従業員の3分の2が、少なくとも時々はAIの情報を評価せずに頼ったことがあると回答し、半数を超える人がAI利用によって仕事上のミスを経験したと答えています。調査結果だけで、AIへの失望や利用中止まで因果関係を確認することはできませんが、評価を挟まない利用が珍しいものではないことは分かります。

つまり、ここで起きているのはAIの失敗というより、評価工程を省略したAI活用の失敗です。ただし、評価工程を省略した本人には、その違いが見えません。結果として、プロセスの問題がAIの能力の問題として理解されてしまいます。

AIはユーザーの能力を超えられないのか

AIについて、「ユーザーの能力を超えるアウトプットは出せない」と言われることがあります。これは、そのまま受け取ると少し違うと思っています。

AIは、ユーザーが知らない知識を提示できますし、ユーザーが一からは書けないコードや文章を生成することもできます。生成する能力だけを見れば、AIがユーザーの能力を超えることは普通にあります。

一方で、そのアウトプットが正しいかどうかを判断できず、なぜ採用したのかを説明できず、問題が起きたときに修正もできないのであれば、仕事として安定して使うことはできません。

そう考えると、AIが出力できる品質と、ユーザーが扱える品質は別物です。AIの潜在的な生成能力がどれほど高くても、実務で使える成果物の上限は、最終的にはユーザーが評価し、説明し、責任を持てる範囲に置かれます。

以前、AI時代の成果物について、最後に人間が確認するだけでは足りず、入口で目的を合わせ、途中で方向を確認しながら、人間がプロセス全体に関与する必要があると書きました。今回考えているのは、その手前でつまずいた人の話です。AIのアウトプットを評価する工程そのものを持たなかったため、AIを使うためのフィードバックループが作れなかったのではないか、という話です。

そういえば、若者のアンチAIという話もあった

このことを考えていて、そういえば最近、若年層のAIに対する感情が悪化している、という話題があったことを思い出しました。

米Gallupが2026年に14歳から29歳までの1,572人を対象に行った調査では、生成AIを少なくとも週1回使う人の割合は51%で、前年からほぼ変わっていません。一方で、AIに「興奮する」と答えた割合は36%から22%に下がり、「怒りを感じる」は22%から31%に上がっています。よく使う人ほどAIに肯定的な傾向は残っていますが、毎日使う人でも、前年より興奮や希望が低下していました。

AIを使う若者が多いことと、AIへの否定的な感情が強まることは、必ずしも矛盾しません。便利だから使う。しかし、信用しているとは限らない。期待して使ったからこそ、期待との差も見える。そういう状態は普通に考えられます。

もちろん、若年層の反AI感情には、雇用への不安、創作物の扱い、企業への不信、学習への影響など、いくつもの理由が含まれています。Gallupの調査も、「AIの成果物が評価されなかったから失望した」と示しているわけではありません。ここから先は私の仮説です。

その複数の理由の中に、AIが正解を出してくれると思って使ったものの、提出した成果物が評価されず、なぜ評価されなかったのかも分からなかった、という経験を持つ人がいるのではないか。AIへの反発に見えるものの一部は、自分の期待に応えてくれなかったAIへの失望であり、同時にAIを礼賛する人への反発でもあるのではないか、ということです。

英国のNational Literacy Trustが2025年に行った調査では、生成AIを使った13歳から18歳の42.8%が、AIは間違うことがあるので出力を確認すると答えています。一方で、宿題にAIを使う際、回答をそのままコピーすることがあると答えた人も25.1%いました。若者を一括りにすることはできませんが、AIを批判的に扱う人と、完成品として受け取る人が同時に存在していることはうかがえます。

正しい使い方に、自力ではたどり着けない

では、AIに失望して使わなくなった人に、「AIの回答は間違うことがあるので、きちんと確認しましょう」と伝えれば解決するのでしょうか。

おそらく、それだけでは解決しません。

何が良い成果物なのか分からない人に、良し悪しを確認してくださいと言っても、何を確認すればよいのか分からないからです。「もっと具体的なプロンプトを書きましょう」という助言も同じです。目的や評価基準が分からなければ、具体的に何を指示すればよいのかも分かりません。

実は、ここでAIを使うとかなり効率的に学べます。評価されなかった成果物と、評価された成果物や修正版を並べ、何が違うのかをAIに比較させればよいのです。単なる表現の違いなのか、問いの捉え方が違うのか、根拠が不足していたのか、結論の出し方が違うのか。差分を整理することで、これまで暗黙的だった評価基準が見えてきます。

ただ、ここには少し皮肉な問題があります。

AIをうまく使うには、AIのアウトプットを評価する能力が必要です。一方、その評価能力を身につけるためには、AIを使って良い成果物と悪い成果物を比較する方法が有効です。しかし、評価能力を持っていない人は、「比較して評価基準を取り出す」というAIの使い方そのものに気づきにくいのです。

しかも、比較するには材料が必要です。評価されなかった初稿だけでなく、実際に採用された修正版と、できれば評価者が何を問題にしたのかというコメントも必要になります。上司が完成版だけを作り直して終わったり、「もう少し考えて」「内容が浅い」といった抽象的な指摘だけを返したりすれば、本人には学習材料が残りません。

AIは二つの成果物の差分を見つけることはできます。しかし、なぜ一方がその組織で評価されたのかを、何の情報もなく確定することはできません。そこを再びAIの推測だけに任せれば、「AIが出した評価理由を正解だと思う」という同じ問題に戻ってしまいます。

この問題は、本人のAIリテラシーだけでは解決しません。評価されたものと評価されなかったものを残し、その違いを説明できる形で返す。AI導入を進める組織やマネージャーにも、そうした学習経路を用意する役割があると思います。

もう一度、AIと向き合うために

AIに一度失望した人が、もう一度AIと向き合うために必要なのは、新しいプロンプト集ではないと思います。過去に評価されなかった成果物を、今度はAIと一緒に読み直すことです。

評価されなかった成果物、評価された成果物または修正版、評価者から受けたコメント。この三つをそろえて、何が違うのかをAIに整理させます。その際、表現上の違いと、目的、論点、根拠、判断に関わる違いを分け、今回だけの修正と次回以降にも使える評価基準を区別させます。評価者のコメントから確認できない理由については、事実ではなく推測として扱わせます。

そして最後に、AIが整理した違いが本当に評価者の意図と合っているのかを、人間同士で確認します。ここまで行って初めて、失敗した成果物が次の仕事に使える評価基準へ変わります。

AIをもう一度信じよう、という話ではありません。むしろ、AIを信じるか、使えないと切り捨てるか、という二択から離れる話です。

AIは正解を返す装置ではありません。こちらが考えるための材料を出し、比較し、見落としている論点を指摘し、試行錯誤を速める道具です。出てきたものを採用するかどうかは人間が判断し、その判断には人間が責任を持つ必要があります。

ただし、その評価能力は、最初から全員が持っているわけではありません。評価できない人に「確認してください」と言うだけではなく、評価の仕方を学べる材料とプロセスを用意する。そこまで含めてAI活用を考えないと、AIを試したのに失望し、使わなくなる人を増やしてしまうのではないかと思います。

AIを使えるかどうかは、プロンプトを入力した時点では決まりません。AIが何かを生成した後、それをどう読み、どう比較し、何を採用し、どこに自分の判断を入れたのか。AI活用は、生成した後から始まるのだと思います。

参考資料

Gen Z’s AI Adoption Steady, but Skepticism Climbs(Gallup、2026年4月8日)

Young people and teachers’ use of generative AI to support literacy in 2025(National Literacy Trust)

Trust, attitudes and use of artificial intelligence: A global study 2025(University of Melbourne/KPMG)

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