最近、「育成キャンセル」という言葉を見かけました。
管理職が部下や後進への指導を積極的に行わず、必要以上に踏み込まないことを指す言葉です。部下を指導してもなかなか改善しない、自分の仕事も忙しい、言い方を間違えればハラスメントと受け取られるかもしれない。それなら必要なことだけ伝えて、あとは本人に任せた方がいい。
そう考えると、「育成しない」という判断には、それなりの合理性があります。
実際、部下や後輩をあまり育てようとしない人は、昔から会社組織には普通にいたと思います。仕事は見て覚えるものだという人もいれば、自分でやった方が早いと考える人もいる。「育成キャンセル」という言葉は、新しく生まれた行動というより、以前からあったものに今風の名前を付けたものとも言えそうです。
ただ、私はこの言葉に少し引っかかりました。
育成をしない人がいることではなく、それを「○○キャンセル界隈」という言葉の流れで表現してしまっていいのだろうか、というところです。
「キャンセル界隈」は自己表現としては面白い
「風呂キャンセル界隈」という言葉が広く知られるようになったのは2024年ごろです。
風呂に入った方がいいのは分かっているけれど、今日は疲れたし、もう面倒なのでそのまま寝る。そんな行動を「風呂に入れなかった」ではなく、「風呂をキャンセルした」と少し自虐的に表現する。さらに、同じようなことをしている人たちを緩く「界隈」と呼ぶ。
この使い方はなかなか面白いと思っています。
風呂に入る、料理をする、外に出る。世の中には、なんとなく「普通はやるもの」とされていることがたくさんあります。ただ、それを毎回律儀にやる必要もありません。「今日はもういいや」という選択を、深刻になりすぎず表現できるのが、この場合の「キャンセル」なのでしょう。
風呂をキャンセルして翌朝気持ちが悪くなったとしても、基本的には自分が困ります。寝不足で翌日つらくなるのも、まずは自分に返ってくる。完全に自己完結するとは限りませんが、自分で選んで、その結果も主に自分が引き受けるという範囲なら、「キャンセル界隈」は生活の仕方を軽く表現する言葉として成立しています。
「育成キャンセル」は少し構造が違う
ところが、「育成キャンセル」になると事情が変わります。
2025年にはビジネス媒体で「部下育成キャンセル界隈」という表現が使われ、2026年には人材育成会社のライトワークスが「育成キャンセル」に関する調査を公表しています。まだ定義の固まった人事用語というより、管理職が部下への指導やフィードバックを積極的に行わなくなる現象に付けられた名前、と考えた方がよさそうです。
ライトワークスの調査では、30代から50代の管理職443人のうち、ハラスメントと受け取られることへの懸念から、本来行うべき指導や注意を控えた経験がある人は63.3%でした。また、部下への指導を積極的に行わずやり過ごす状態について、「意識的にそうしたことがある」が18.1%、「気づけばそうなっていたことがある」が43.1%で、合わせると61.2%になります。
理由として最も多かったのは、「何度指導しても改善が見られず、指導の効果が見込めなかった」の55.4%で、「ハラスメントと受け取られるリスクが高いと感じた」が34.0%でした。
一方、同じ調査で20代社員の78.2%は、ハラスメントに当たらない範囲で率直な指導やフィードバックをしてほしいと答えています。
上司は「言わない方が安全だ」と考えて距離を取り、若手は「必要なことなら言ってほしい」と思っている。少なくとも、「若手が指導を嫌がるようになったから、上司が何も言えなくなった」という単純な話ではなさそうです。
キャンセルした結果、誰が不具合を被るのか
この話を考え始めたとき、最初は「キャンセルのコストを誰が負担するのか」と整理していました。ただ、コストというとお金や時間だけの話に聞こえるので、少し違う気がします。
私が気になっているのは、そのキャンセルによって何か不具合が起きたとき、結局それを誰が被るのか、ということです。
風呂キャンセルなら、翌朝気持ちが悪いのは基本的には自分です。それで済むなら好きにすればいいと思います。
一方、育成をキャンセルすると、不具合は本人以外の場所にも出ます。部下が必要なフィードバックを得られず、仕事を覚えるのに余計な時間がかかるかもしれません。特定の人にしかできない仕事が残り、数年後になって後任が育っていないことに気づくこともあります。そのとき困るのは、育成しなかった本人ではなく、部下や後任の管理職、あるいは組織そのものかもしれません。
育成しなかった本人には、その場ではメリットがあります。時間を使わなくて済み、面倒なコミュニケーションも減り、指導を巡るトラブルの可能性も下がります。
しかし、育成をキャンセルしたからといって、育成されなかったことで起きる問題までなくなるわけではありません。不具合が別の場所へ移動しているだけの場合があります。
ここが、風呂キャンセルとの大きな違いだと思います。
予約のキャンセルでも同じことが言えます。期限内に連絡し、必要ならキャンセル料を払うのであれば、キャンセルは最初から仕組みに織り込まれています。しかし無断で来なければ、空けておいた席や時間の損失は店側に残ります。
出社も同じです。リモートワークが認められ、仕事が問題なく回るのであれば出社しなくても構いません。ところが、自分が出社しないために別の誰かが来客対応や現地作業を肩代わりしているのであれば、それは本人の働き方だけでは完結しません。
こう考えると、「何をキャンセルしていいか」を決めるより、その結果として何が起き、誰がそれを引き受けているのかを見る方が分かりやすいように思います。
「界隈」で包むと、少し意味が変わる
そして今回、私が引っかかっていたのは、「キャンセル」だけではなく「界隈」という言葉だったのかもしれません。
「昨日は疲れて風呂に入らなかった」と言えば、単にその日の行動です。それが「自分は風呂キャンセル界隈です」となると、少しだけ自分の属性やスタンスのようになります。
この曖昧さは「界隈」という言葉の面白いところでもあります。正式な集団でもなければ、考え方を共有している必要もありません。今日だけその界隈にいて、明日は抜けてもいい。それでも「自分だけではない」という感じが出るので、日常の失敗や面倒くささを軽く表現するには都合がいい。
ところが、仕事上の役割まで同じ文法で表現すると、その軽さが別の作用を持つようになります。
「部下を育成しない管理職」と言えば、なぜ育成しないのか、それは管理職の役割ではないのか、という話になりやすい。一方で「育成キャンセル界隈」と表現すると、どこか「そういう働き方を選ぶ人もいる」というスタンスの違いのようにも聞こえてきます。
もちろん、「育成キャンセル」という言葉を使っている記事や調査が、育成放棄を肯定しているわけではありません。むしろ問題として取り上げています。
それでも、「キャンセル」と「界隈」で包むことで、本来は役割や責任の話だったものが、個人の志向のように見えやすくなるところはあります。
自己表現としての「キャンセル界隈」はあり得る。一方で、他人に影響する行為まで同じ言葉で包み始めると、それぞれの行為の違いが見えにくくなる。私が感じていた違和感は、この辺りにありそうです。
若者の「キャンセル文化」という話でもない
この話を「最近の若者は何でもキャンセルする」という世代論に持っていくのも、少し違うと思います。
「風呂キャンセル界隈」などの「○○界隈」は、若い世代のネット上の表現として広まりました。一方、「育成キャンセル」で想定されている主体は管理職であり、先ほどの調査も30代から50代を対象にしています。
だから、若者のキャンセル志向が仕事上の責任にまで広がった、と考えるのは無理があります。逆に、若者が作った言葉を上の世代が都合よく利用したとまで言い切る根拠もありません。
興味深いのは、日常生活の中で「今日はこれをやらない」と軽く表現するために広まった言葉の型が、いつの間にか管理職の育成行動まで説明できるようになったことです。
問題にしたいのは世代ではなく、「キャンセル」という言葉の適用範囲が広がったことで、本来は性質の違う行為まで同じように見えるようになったことです。
育成をキャンセルする人だけを責めても仕方がない
もっとも、ここで「育成キャンセルする管理職は無責任だ」と終わらせるのも違います。
調査で最も多かった理由は、何度指導しても改善せず、効果が見込めないと感じたことでした。ハラスメントへの懸念もあります。ここに、自分自身も現場の仕事を抱えている、育成に時間を使っても評価されにくい、といった条件が加われば、育成に深入りしない方が管理職個人にとって合理的になることは十分あり得ます。
これは情報共有とよく似ています。
自分が分かっていることを他人にも分かるように整理して共有するには時間がかかるので、その瞬間だけを見れば、自分で仕事を進めた方が早い。しかし、全員がそれを選ぶと情報が人の中に閉じ込められ、誰かが異動しただけで仕事が止まる。
育成も同じで、自分でやった方が早く、余計な指導をしない方が安全なのであれば、個人にとっては育成を後回しにする方が合理的です。しかし、それを多くの管理職が選べば、数年後には人が育っていないという形で組織に返ってきます。
だとすれば、「管理職なんだから育成しろ」という精神論だけでは解決しません。育成に時間を使うことをどう評価するのか、指導上のトラブルを会社がどう支えるのか、プレイングマネージャーにどこまで育成責任を持たせるのか。育成をキャンセルする方が合理的になる仕組みをそのままにして、管理職だけを責めても仕方がありません。
キャンセルできても、その結果まで消えるわけではない
私は「キャンセル界隈」という考え方自体を否定する気はありません。
「普通はやるものだから」というだけで続けていることを、一度やめてみるのは悪いことではないと思います。風呂でも料理でも出社でも、本当に必要なのかは、その都度考えればいい。
ただ、自分の行動をキャンセルできることと、その行動をやめたことで起きることまで消せることは別です。
結果が自分に返ってくるのであれば、それはかなりの部分、自分の選択として処理できます。しかし、その結果を別の誰かが引き受けているのであれば、そこには役割や約束、制度設計といった別の話が入ってきます。
そう考えると、「それはキャンセルしていいのか」と善悪で考えるよりも、その後に何が起きるのかを見る方が分かりやすい。
そのキャンセルによって起きる不具合を、結局誰が被るのか。
「キャンセル界隈」という便利な言葉で包む前に、そこだけは一度考えてみた方がよさそうです。

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