「わかりやすく解説」の概念が崩壊している話

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最近に限った話ではないのですが、「わかりやすく解説」という言葉に、以前からなんとなく違和感があります。

YouTubeでもWeb記事でも、「○○についてわかりやすく解説します」というのは昔から定番のフォーマットです。難しい話を整理して理解しやすい形にしてくれること自体はありがたいですし、実際、私もそういう記事や動画を見ることはあります。

ただ、「わかりやすい」というのは、そもそも誰が決めるのだろう、とは以前から思っていました。

最近はそこに、動画やWebコンテンツで人の注意を引くための仕掛けや、生成AIによる大量の「解説」が加わって、この言葉への違和感が以前より強くなっています。

「わかりやすく解説」を見たら、わかりにくかった

これは完全に私の体感ですが、「わかりやすく解説」と銘打った動画を見てみたら、やたらと話を引っ張った挙げ句、最後まで見ても大した結論ではなかった、ということが結構あります。

あるいは、何かを解説していると思って見ていたら、途中から特定の製品やサービスの紹介になっていることもあります。

もちろん、こういうコンテンツは昔からありましたし、「わかりやすく解説」と書かれているものが全部そうだ、という話ではありません。良い解説もありますし、自分では気づかなかった観点を与えてくれるものもあります。

ただ、本来なら内容を見た人が「これはわかりやすかった」と判断するはずの言葉が、最初からタイトルやサムネイルに置かれていることには、以前から少し不思議さを感じています。

そもそも「わかりやすい」の基準が分からない

私が「わかりやすく解説します」という言い方をあまり使ってこなかったのも、ここに理由があります。

結局のところ、わかりやすさの基準が曖昧なんです。

例えばTCP/IPについて説明するとして、ネットワークエンジニアに説明するのと、初めてネットワークを勉強する人に説明するのでは、当然内容が変わります。同じ初心者でも、コンピュータについてある程度知っている人と、ほとんど知らない人では違いますし、概要だけ知りたい人と、自分でトラブルシューティングできるところまで理解したい人でも違います。

そう考えると、「わかりやすい」というのは、説明そのものが持っている固定的な性質というより、説明する側と受け取る側の関係の中で決まるものだと思うんです。

誰にとって、何を理解できれば「わかった」なのか。そこが決まっていない状態で、「わかりやすく解説します」と宣言するのは、実は結構大胆なことを言っています。

少し極端に言えば、料理を出す前から「これはおいしい料理です」と言っているのに近いです。おいしいかどうかは、最終的には食べた人が決める話です。

だから私は、昔からこの言い方があまりしっくりきませんでした。

そこにAIが入ってきた

そして、この違和感に拍車をかけたのが生成AIです。

AIに何かを聞くと、ものすごく丁寧に説明してくれます。前提を整理し、用語を定義し、具体例を挙げ、最後にはまとめまで付けてくれます。文章も滑らかですし、見出しや箇条書きを使って、いかにも整理された形にしてくれます。

見た目だけなら、かなり「わかりやすく解説」しているように見えます。

ところが、それを読んでいて、「これ、別にわかりやすくないよね」と思うことが結構あります。説明は丁寧なんだけど、どこが重要なのかが分からない。文章は長いんだけど、読み終わったあとに何が残ったのかよく分からない。同じ内容を少しずつ言い換えながら説明していて、文章量のわりに理解が進んでいないこともあります。

もちろん、AIによる説明が全部わかりにくいという話ではありません。問い方によっては非常に良い説明をしてくれますし、知らない分野への入口として使うにはかなり便利です。私自身、調べものをするときには日常的に使っています。

ただ、AIを見ていると、「饒舌に説明すること」と「わかりやすく説明すること」は違うんだな、ということがかなりはっきり見えてきます。

「説明している感」と「理解できる」は違う

これはAIに限った話ではありません。

自分が何かを理解したときの感覚を振り返ると、単に情報がたくさん増えたときよりも、それまでバラバラだったものがつながったときのほうが、「分かった」という感覚に近い気がします。

「ああ、そういうことか」と、それまで別々に見えていた事実や概念の関係が見える。情報が増えたというより、構造が見えたという状態です。

私は、解説に必要なのはこういう部分だと思っています。

何が重要で、何が枝葉なのか。どことどこがつながっていて、どこを押さえれば全体が見えるのか。説明する側がそこまで整理できていれば、必ずしも長い説明は必要ありません。

一方で、生成AIに「もっと詳しく」と頼めば、説明は簡単に増やせます。「例を追加して」と頼めば、例もいくらでも増えていきます。しかし、それによって理解しやすくなるとは限りません。

これはAIの性能が低いという話ではなく、情報量と理解は別のものだ、という話なんだと思います。

私は「わかりやすく」ではなく「私はこう見る」と言う

では、自分はどうしているのかというと、私は昔から「わかりやすく解説します」という言い方をあまりしません。

これはこのブログに限った話でもありませんし、AIが出てきてからそうするようになったわけでもありません。なんとなく以前から、この言い方は自分にはしっくりきませんでした。

今回あらためて考えてみると、その背景にあるのは、やっぱり「わかりやすさの基準が曖昧だから」なんだと思います。その代わりに、私は「私はこう見る」という形をよく使います。このブログも基本的にはそうです。

何か気になることがあれば、まず事実を調べます。そのうえで、自分がこれまで見てきたものと比較したり、別の分野に似た構造がないか考えたりして、「私はこう見ています」「こう考えると説明できるのではないか」と書きます。

これは、「これが正しい説明です」と言っているわけでも、「誰にでもわかりやすい説明です」と言っているわけでもありません。あくまで、「私はこの形で理解しました」ということです。この違いは、自分の中では結構大きいです。

「わかりやすい」と言ってしまうと、読み手側の評価まで自分で決めてしまうことになります。一方で「私はこう見る」であれば、自分の立ち位置と解釈を提示するだけです。読み手はそれを見て、「なるほど」と思ってもいいし、「そこは違うんじゃないか」と考えてもいい。私はそのほうが自然だと思っています。

AI時代だからこそ「誰がどう見たか」が気になる

AIによって、説明そのものを作ることは以前よりかなり簡単になりました。

金融でも、法律でも、半導体でも、クラウドでも、「○○について説明して」と頼めば、それらしい説明は出てきます。情報を整理して、用語を説明して、例を付けて、文章として整えるところまでは、かなりのことをやってくれます。

だからこそ、私は以前より、「その人がどう見たのか」のほうが気になるようになっています。

実務経験のある人なら、「教科書にはこう書いてあるけれど、実際にはここで詰まる」と考えるかもしれません。研究してきた人なら、「一般にはこう説明されているけれど、この条件では少し違う」と考えるかもしれません。別の業界を知っている人なら、「これはあの業界で起きたことと似ている」と見るかもしれません。

そこには、その人が何を見てきたのか、どこを重要だと思ったのか、何と比較してその理解に至ったのか、というものがあります。私は、そういうものも含めて解説なんじゃないかと思っています。

単に情報を整理した文章なら、AIでもかなり作れるようになりました。そうなると、その人自身の視点がある文章のほうが、私は読みたい。

最近、「わかりやすく解説」という言葉を見ると少し警戒してしまうのも、たぶんそこなんだと思います。

本当に知りたいのは、「わかりやすく説明してくれるか」よりも、「あなたには、これはどう見えているのか」なのかもしれません。

少なくとも私は、そちらのほうが面白いと思っています。

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