AIは仕事を均質化するのではなく、違いを際立たせるのかもしれない

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SNSを見ていると、ときどき強い言葉で仕事や組織を語る投稿が流れてきます。

先日も、「ベンチャーにいてよいのは、自ら成長する意思がある人だけ。それ以外は黙って上司の指示に従う大企業が正解」といった趣旨の投稿が話題になっていました。

かなり乱暴な言い方ではあります。ただ、こういう投稿が広がる理由も分からなくはありません。

自律的に働く人と、指示を待つ人。ベンチャーと大企業。成長する人と、成長しない人。対立軸をはっきりさせた方が、話は伝わりやすくなります。

一方で、実際に組織の中で仕事をしていると、そんなにきれいには分かれないよね、と思います。

仕事には、本人の裁量に任せた方がよいものもあれば、組織として手順を統一した方がよいものもあります。同じ人でも、ある仕事には強い関心を持ち、別の仕事では報酬や役割を理由に取り組むことがあります。

そしてAIは、こうした違いをなくすというより、むしろ以前よりはっきり見せる方向に働いているのではないか。最近、そんなことを考えています。

ベンチャーに必要なのは「成長意欲」なのか

前述の投稿が言いたいことは、おそらく分かります。

ベンチャーでは、担当範囲が曖昧だったり、教育制度が十分に整っていなかったり、会社の方針が短期間で変わったりします。前例がない仕事も多いため、自分で調べ、課題を見つけ、必要に応じて担当の境界を越えて動ける人の方が適応しやすいでしょう。

ただ、これを「成長意欲」という言葉だけで説明すると、少しずれてしまいます。

本人が成長したいと思っていても、その人が望む成長と、会社が必要としている仕事が一致するとは限りません。

新しい技術を学びたい、戦略を考えたい、大きな仕事を任されたい。そうした意欲はあっても、目の前にある顧客対応や運用改善には関心を持てないことがあります。

会社から見れば、必要なのは必ずしも「成長したい人」ではありません。未解決の問題を見つけ、それを自分の担当として引き受けられる人です。

成長は、その結果として起きることはあっても、会社が必要とする成果そのものではありません。

また、「本人に成長する意思がない」と周囲を批判することにも注意が必要です。

成果が出ない理由をすべて会社や上司のせいにするのは違うと思います。一方で、経営判断の誤りや、権限不足、情報不足、非現実的な納期まで、本人の当事者意識の問題にしてしまうのも違います。

自分が変えられる範囲で何ができるかを考えることと、構造上の問題まで自分の努力不足として引き受けることは、同じではありません。

「自分ごと化」という言葉は便利ですが、使い方によっては、組織側の責任を個人へ押し戻す言葉にもなります。

内発的動機と外発的動機も、きれいには分かれない

仕事の動機についても、「自分からやりたいと思う人」と「給料のために働く人」という二分法で語られがちです。

しかし、心理学の自己決定理論では、内発的動機と外発的動機は、単純な二者択一として整理されていません。

内発的動機とは、その活動自体に面白さや満足を感じて行うことです。一方の外発的動機は、報酬、評価、役割、結果など、活動とは別の理由によって行動することを指します。

ただし、外発的動機にも濃淡があります。

上司に怒られたくないから行う仕事と、その仕事の意味を理解し、自分にとっても必要だと納得して行う仕事では、同じ外発的動機でも自律性が異なります。自己決定理論でも、動機の量だけでなく、その質や内在化の度合いが重視されています。(セルフ・ディターミネーション理論)

たとえば、経理担当者が決算処理そのものを趣味のように楽しんでいる必要はありません。

正確な経営判断を支えるために必要な仕事だと理解し、自分の役割として納得していれば、十分に自律的に取り組めます。

企業が全社員を内発的に燃え上がらせようとする必要はありません。むしろ、仕事の目的や制約を理解できる状態をつくり、その中で本人が判断できる範囲を明確にする方が現実的です。

大企業は、なぜ階層を必要とするのか

大企業については、「どうせ最後は部長が決めるのだから、課長はいらない」といった話も聞きます。

確かに、上位者の判断が最終的に優先されるだけであれば、中間管理職は伝言係に見えます。

ただ、ここでは意思決定を一回の採決のように捉えてしまっているのだと思います。

担当者、課長、部長、経営層は、同じ案件を見ていても、見ている範囲が違います。

担当者は、個別案件が技術的に成立するか、顧客の要求を満たすかを考えます。課長は、複数案件の優先順位や、人員の割り当て、チームとして実行可能かを考えます。部長は、部門の予算や事業方針、他部門との関係、経営上のリスクまで含めて判断します。

部長の判断が優先されるとしても、課長と部長が同じ判断をしているわけではありません。

課長は、担当者から上がってきた情報を集め、案件同士の衝突を整理し、部長が判断できる粒度に変換します。同時に、部長の方針を、現場が実行できる制約や優先順位に置き換えます。

中間管理職は、本来、情報の中継点ではなく、情報の圧縮、抽象化、優先順位付け、例外処理を行う場所です。

組織に階層がある目的を、上司の権威を維持することだと考えると、見え方を誤ります。

階層の目的は、異なるスコープと時間軸で行われる判断を接続し、組織としての整合性を取ることです。

経営方針と現場の仕事をつなぐ縦の整合性があります。営業、開発、法務、財務などの判断をつなぐ横の整合性があります。今期の成果と、将来の技術負債や信用を調整する時間軸の整合性もあります。

管理職の仕事は、すべてを矛盾なくそろえることではありません。どの矛盾を許容し、どのリスクを組織として引き受けるかを決めることです。

上司の判断が正しいのではなく、スコープが違う

大企業では、上司が神格化されているように見えることがあります。

ただ、上司の神格化が組織の目的なのではありません。判断を一定の場所へ集約し、組織全体の整合性を取ろうとした結果、判断権限が権威に変わってしまうことがあります。

本来は、「上位のスコープから見ると、この判断になる」という話です。

ところが、説明が省略されると、「部長が言ったから正しい」に変わります。さらに、部長の考えを先回りすることが評価され、結果が悪くても判断そのものは検証されなくなると、階層は整合性を作る仕組みではなく、権威を再生産する仕組みになります。

若手が「課長はいらない」と感じる背景にも、この問題があるのだと思います。

課長が、上司の発言をそのまま下へ伝えるだけであったり、判断をすべて上へ投げたり、承認だけを増やしたりしているのであれば、不要に見えるのは当然です。

課長の価値は、部長と違う結論を出すことではありません。

部長が判断しなくてもよい問題を処理し、部長が判断すべき問題だけを、適切な形で上げることにあります。

階層の数が問題なのではなく、それぞれの階層が異なる判断スコープを持っているかが問題です。

仕事の性質によって、必要な管理は変わる

ベンチャーと大企業を、自律型と他律型に分けるのも少し粗いと思います。

ベンチャーでも、請求処理やセキュリティ管理、顧客情報の取り扱いなどは標準化した方がよいでしょう。大企業でも、新規事業や研究開発を細かな手続きと承認で管理すれば、動けなくなります。

必要な管理方法は、企業規模だけではなく、仕事の性質によって変わります。

成果が明確で、手順も安定している仕事であれば、標準化や自動化が向いています。成果は測定できるものの、やり方に不確実性がある仕事では、担当者へ一定の裁量を渡した方がよいでしょう。

成果そのものが曖昧で、試行錯誤しながら目的を探す仕事では、数値目標だけで管理することが難しくなります。対話やレビューを通じて、途中で方向を修正する必要があります。

これは社員の意識が高いか低いかという話ではありません。

どの仕事に、どの程度の裁量、標準化、承認、監査が必要なのかという設計の問題です。

AIは仕事の違いをなくさない

AIを導入すると、仕事が均質化すると考えられることがあります。

確かに、文章作成、検索、要約、翻訳、情報整理などでは、一定水準までの作業を多くの人が行えるようになります。これまで大きかった基礎作業の能力差が縮まる領域はあります。

実際、生成AIを導入した顧客対応業務の研究では、平均的な生産性向上が確認される一方、その効果はすべての従業員で同じではなく、経験や能力によって差がありました。(NBER)

ただ、ある差が縮まると、別の差が見えるようになります。

資料をきれいに作る能力の差が縮まれば、何を調べるべきかを決める能力、情報の信頼性を判断する能力、問いを分解する能力、結果を意思決定へつなげる能力の差が目立つようになります。

AIは地面を平らにする一方で、その先にある坂を急にするようなところがあります。

最近の研究でも、AIによって能力差が一方向に縮まるとは限らず、技術の性能や対象となるタスクによって、差が縮んだ後に再び広がる可能性が指摘されています。(NBER)

AIは、人の能力差をなくす装置というより、能力差が現れる場所を移動させる装置と考えた方が近いのかもしれません。

AIはグラデーションの幅とコントラストを強める

ここで面白いのは、AIによって仕事の違いが、以前よりもはっきりしてくることです。

同じ「資料作成」という仕事でも、定型情報を集めて所定の形式へ転記する作業と、複数の情報から論点を抽出する作業では、AIの使い方が違います。

意思決定者の関心を踏まえて構成を考える作業や、会社として表明できる内容かを判断する作業になると、さらに必要な情報、権限、責任が変わります。

これらをまとめて「生成AIで資料作成を効率化する」と呼ぶと、何が改善されたのか分からなくなります。

請求処理では、例外を減らし、判断を標準化し、人の介在を減らすことが成果になります。

新規事業では、仮説の幅を広げ、異なる見方を出し、人間が判断する材料を増やすことに価値があります。

前者では、AIを使って仕事のばらつきを減らします。後者では、AIを使って選択肢の幅を広げます。

同じAIでも、均質化する方向と、多様化する方向の両方に働きます。

国際労働機関も、生成AIの影響を職業単位だけでなくタスク単位で分析し、職業全体が一様に自動化されるというより、仕事の中の一部のタスクが変化する可能性が高いとしています。最新の分析でも、生成AIへの接触度を一つの値ではなく段階的なグラデーションとして扱っています。(国際労働機関)

「この職種はAIに置き換わる」「この職種は残る」という話よりも、同じ職種の中で、どのタスクが縮小し、どのタスクが増え、どの判断が重要になるかを見る必要があります。

全社共通施策だけでは届かない

この違いを理解できない組織では、AI導入が全社共通施策に寄りやすくなります。

共通のAIツールを配る。全社員へ研修を行う。プロンプト集を作る。利用率や生成回数を測る。

こうした施策が不要という話ではありません。

認証、データ保護、ログ管理、利用できるモデル、禁止事項などは、全社で共通化した方がよいでしょう。基盤を部門ごとに作れば、コストもリスクも増えてしまいます。

問題は、業務への組み込み方まで共通化しようとすることです。

仕事の目的、扱う情報、失敗時の影響、必要な権限、成果の測り方が違うのであれば、AIの使い方も同じにはなりません。

情報システム部門が共通の環境を提供し、各業務部門が仕事の設計を行い、法務やセキュリティがリスクに応じた境界を設ける。そうした役割分担が必要になります。

ところが、自分たちの仕事を十分に分解できていない組織では、どこまで共通化し、どこから現場に任せるべきかを決められません。

その結果、標準化すべき基盤では個別ツールが乱立し、裁量を与えるべき業務では全社ルールが足かせになるという、逆のことが同時に起きます。

AIの小さな実証実験では成果が出ても、それが企業全体の成果につながらない例があることについて、ILOは、タスクや個人レベルの生産性向上が、組織や経済全体では必ずしもそのまま集約されない「集約のパラドックス」として整理しています。(国際労働機関)

AIの性能だけでなく、業務プロセス、組織構造、権限、評価制度まで変わらなければ、部分的な効率化で止まるという話です。

AIは中間管理職をなくすのか

AIによって、報告の要約、進捗集計、会議の調整、資料作成などはかなり軽くなります。

そのため、「AIによって中間管理職が不要になる」という見方もあります。

情報を集めて上へ流すだけの管理職については、確かに役割が縮小すると思います。

ただし、階層そのものが不要になるとは限りません。

情報処理が速くなれば、判断する機会も増えます。複数の選択肢から何を優先するのか、どのリスクを許容するのか、誰が責任を引き受けるのかという問題は残ります。

AIは選択肢を作ったり、影響を整理したりすることはできます。しかし、組織として何を優先するかは、自動的には決まりません。

AI時代に減るのは、中間管理職ではなく、判断スコープを持たない中間管理職なのだと思います。

一方で、下位の情報を上位が判断できる形へ変換し、上位の方針を現場が実行できる形へ変換する仕事は残ります。

むしろAIによって情報量が増えるほど、どの情報を捨て、何を論点として残すのかという判断は重要になります。

フラット化を進めれば、必ず分権化されるとも限りません。中間の判断がなくなった結果、すべての案件が経営層へ直接集まり、以前より中央集権的になることもあります。

階層を減らすかどうかではなく、どの判断を、どのスコープに置くかを考える必要があります。

SNSでは、なぜ画一論が広がるのか

SNSでは、「ベンチャーに向く人」「大企業に向く人」「消える仕事」「残る仕事」といった話が広がりやすくなります。

条件を細かく付けるほど文章は長くなり、結論は弱く見えます。

「業務の性質や権限、失敗時の影響によって異なる」と書くより、「自律できない人はベンチャーに向かない」と書いた方が伝わります。

ただ、分かりやすさと正確さは同じではありません。

画一的な主張は、何かを考え始めるきっかけにはなります。しかし、そのまま人事制度や組織設計へ持ち込むと、現実とのずれが大きくなります。

特にAIについては、「全員がAIを使えば生産性が上がる」「AIで管理職が減る」「高度な人だけが残る」といった一方向の話では捉えにくいと思います。

AIは、能力差を縮める領域と広げる領域を同時に作ります。

標準化が進む仕事と、個別判断の価値が増える仕事を同時に作ります。

人の関与が減る判断と、人が責任を持つ必要性が高まる判断を同時に作ります。

AIが広がるほど、仕事や人材、組織のグラデーションは消えるのではなく、幅が広がり、色の違いも強くなるのではないかと感じています。

AIへの適応力は、自分たちの仕事を理解する力

AI時代に強い企業は、全社員が同じように自律的な企業でも、すべての業務を自動化した企業でもないと思います。

定型化すべき仕事と、試行錯誤すべき仕事を分けられる。

AIへ任せる処理と、人が責任を持つ判断を分けられる。

全社で共通化すべき基盤と、現場へ委ねるべき業務設計を分けられる。

そして、それぞれの判断を、適切な階層と権限へ配置できる。

こうした区別ができる企業の方が、AIを成果につなげやすいはずです。

AIは、仕事の曖昧さをうまく覆い隠してくれる技術ではありません。

むしろ、誰が何を判断していたのか、何をもって完了としていたのか、例外時に誰が責任を持つのかを、以前より厳しく問い返してきます。

AI導入が進まない理由を、社員の意欲やリテラシーだけに求めても、たぶん解決しません。

問われているのは、組織が自分たちの仕事を、どれくらい正確に理解できているかです。

SNSでは白か黒かで語られる話ほど広がります。

でも、実際の仕事はその間にあります。

AIは、その中間を灰色に塗りつぶすのではなく、これまで見えていなかった濃淡を、以前よりくっきり浮かび上がらせるものなのだと思います。

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