成果主義の企業に蔓延する「認知厨」ムーブメント

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最近、成果主義を掲げる企業で、「仕事で成果を出すこと」よりも、「成果を出している人として認知されること」に熱心な人が増えているように感じます。

「認知厨」は、もともとアイドルや配信者などに顔や名前を覚えてもらうことへ熱心なファンを指すスラングです。「厨」という字が付くように、過剰なアピールを揶揄する場面で使われることが多い言葉です。

最近の企業にも、これとよく似た動きがあります。上司や経営層に自分を覚えてもらい、「あの件を動かしている人」として認知されることに力を注ぐ。この記事では、そうした人を職場における「認知厨」と呼びます。もちろん、成果主義の企業ほど認知厨が多いことを示す統計があるわけではなく、身近な仕事を見ていて感じた違和感からの仮説です。

成果を社内に伝えること自体は必要です。黙って良い仕事をしていれば、誰かが必ず見つけてくれるという考え方も、さすがに現実的ではありません。ただ、成果を伝えることと、認知を取りに行くことは、似ているようで少し違います。

前者は、仕事の内容を他者が評価できるようにする行為です。後者は、評価者の頭の中に「この人は活躍している」という印象を作る行為です。両者は重なることもありますが、いつも一致するわけではありません。

成果ではなく、「認知された成果」が評価される

成果主義という言葉からは、客観的な結果によって人が評価される仕組みを想像します。しかし、実際の仕事、とりわけ新規事業、企画、調整、マネジメント、社内支援のような業務では、個人の成果をきれいに切り分けることができません。

数字が伸びたとしても、それが本人の働きによるものなのか、市場環境によるものなのか、前任者の仕込みによるものなのかは簡単には分かりません。逆に、問題の芽を早期に摘んだ人、他部署の失敗を裏側で防いだ人、誰かの成果が出るように環境を整えた人の貢献は、結果だけを見てもほとんど残りません。

評価する側も、すべての仕事を直接観察できるわけではありません。そこで、報告、発表、会議での発言、経営層との接点、社内SNSへの投稿、分かりやすい資料などを手がかりに、その人の働きを推測することになります。

このとき、成果主義はいつの間にか「認知された成果主義」に変わります。成果そのものが評価されるというより、評価者が成果として認識できたものが評価される。社員から見れば、この違いはかなり大きなものです。

人事評価の研究でも、上司による評価は、仕事の成果をそのまま測定した値ではないと考えられています。複数の評価者による上司評価の一致度を分析したメタ分析では、評価の目的や評価者側の動機が評定に影響し得ることが論じられています。そこには、部下を動機づけたい、関係を維持したいといった管理上の判断も入り込みます。

これは、上司が不正に評価しているという話ではありません。そもそも人が人を評価する以上、観測できた情報と、そこから形成された印象を完全に切り離すことが難しいという話です。

仕事ではなく、評価者の印象を操作する

認知厨ムーブメントの特徴は、仕事を前に進めることと同時に、あるいはそれ以上に、「自分が動かしているように見える状態」を作ろうとすることです。

まだ何も決まっていない段階で大きな構想を宣言する。進行中の案件について細かく発信し、自分が中心人物であることを印象づける。複数人で進めた仕事を、自分を主語にして報告する。経営層が口にした言葉を素早く取り込み、自分の活動と結びつける。会議では論点を前に進めるより、存在感の残る発言を優先する。そんな動きです。

一つひとつを取り出せば、必ずしも悪い行為ではありません。構想を共有することも、進捗を発信することも、会議で意見を述べることも仕事の一部です。問題は、その行為が仕事を前に進めるためなのか、認知を得るためなのかが、外からは判別しにくいことにあります。

心理学や組織行動論には「印象管理」という研究領域があります。他者からどう見られるかを意識し、望ましい印象を形成しようとする行動のことで、自己アピールなどが採用面接や上司評価に影響し得ることも報告されています。

ただし、自己アピールをすれば必ず高く評価されるわけではありません。メタ分析では、印象管理の効果は採用面接で比較的表れやすい一方、日常の仕事に対する評価では関係が弱く、やり方によっては逆効果になる可能性も示されています。上司が日常的に本人の仕事を見ている場合、実態とかけ離れた自己アピールは、むしろ信用を落としかねません。

つまり、「認知を取りに行けば出世できる」という単純な話ではありません。それでも、何も伝えなければ評価材料に入らず、伝えすぎれば鼻につく。この曖昧さが、社員に仕事の見せ方まで考えさせます。

極端になると、社内で起きているのは成果の競争ではなく、「誰の成果として記憶されるか」の競争になります。野球でいえば、チームの得点を増やすことより、スコアボードに自分の名前が出るプレーを選ぶようなものです。送りバントや守備のカバーに相当する仕事は減り、分かりやすく打点がつく仕事に人が集まります。

認知を取りに行くのは、合理的な自己防衛でもある

こうした人を見ると、「自己顕示欲が強い」「目立ちたがりだ」と片づけたくなります。しかし、それだけでは説明が足りません。

評価者が現場を十分に見られず、短い評価期間の中で、個人単位の成果説明を求められる環境では、認知を取りに行く行動には合理性があります。目立たなければ評価されず、評価されなければ昇進や報酬に反映されない。そう考えれば、仕事の中身だけでなく、仕事の見え方を設計するのは自己防衛でもあります。

中国企業の従業員460人を対象とした2022年の調査では、評価をめぐる政治性の認知が、組織的公正感の低下や反生産的行動と関連していました。ただし、特定地域の質問紙調査であり、日本企業全体へそのまま当てはめることはできません。

ここで注目したいのは、評価制度が実際にどれほど政治的かだけではありません。「この会社では、仕事そのものより、誰に知られているかが評価を左右する」と社員が認識した時点で、行動が変わり始めることです。

認知厨が増えたというより、認知を取りに行ける人ほど有利になるゲームが設計されているのかもしれません。ある行動が組織内で繰り返し観察されるなら、個人の資質よりも、その行動に報酬を与えている仕組みを見た方がよいと思います。

「上司は自分の仕事を見ていない」という不信

認知を取りに行く行動の奥には、もう一つ根深い前提があるように感じます。それは、上司の認知能力に対する不信です。

ここでいう認知能力とは、頭の良し悪しではありません。部下が実際に何をしており、誰がどこで仕事を前に進め、誰が裏側で問題を防いでいるのかを把握する能力です。組織の階層が増え、上司の管理範囲が広くなるほど、末端の担当者の仕事ぶりまで見通すことは難しくなります。

社員の側も、そのことを分かっています。「上司は現場を細かく見ていない」「結局、よく知っている人を高く評価する」「こちらから言わなければ、やっていないのと同じになる」。こうした前提に立てば、認知を取りに行くことは、自分の成果を評価から消失させないための防衛行動になります。

上司がすべてを把握するのは現実的に不可能ですが、部下がその把握力を必要以上に低く見積もっている場合もあると思います。上司が見ていないと思って過剰なアピールに走り、その人が評価されると、周囲は「やはり、認知を取らなければ評価されない」と学習します。認知競争は、実際の観測不足と上司への不信が混ざりながら自己強化していきます。

厄介なのは、上司が何を知っているかと、部下がどれだけ貢献したかが混同されることです。本来、「私はこの人の仕事をよく知らない」という状態は、貢献がないことを意味しません。評価者側に、まだ観測できていない領域があるというだけです。

しかし、実際の評価では、知らない人については具体的な材料を思い出せず、よく知っている人については多くのエピソードを挙げられます。その結果、評価者の認知範囲が、そのまま組織における成果の範囲として扱われてしまいます。

「知っている人を評価する」文化が再生産される

この問題が根深いのは、認知を取ることに長けた人が昇進すると、同じ評価観が次の階層でも再生産される可能性があることです。

上司に存在を知ってもらい、活動を繰り返し説明することで評価されてきた人は、それを当然の作法だと考えるようになります。部下にも「成果があるなら自分から説明すべきだ」「伝わっていないなら、存在しないのと同じだ」と求めるかもしれません。

すると、その上司は自分から現場の貢献を探しに行くよりも、目の前に情報を持ってくる人、会議でよく発言する人、頻繁に相談してくる人を評価します。本人には、身近な情報を根拠に公平に評価しているつもりでも、結果として「自分が知っている人だけを評価する」という状態ができあがります。

さらに次に昇進するのも、上司の認知範囲に入ることがうまい人です。認知獲得を重視する価値観は、研修や社内文書ではなく、選抜を通じて伝わっていきます。会社が「挑戦」「協働」「実力主義」を掲げていても、社員は昇進者を見て実際のルールを理解します。

組織が似た人を引きつけ、選び、残すことで同質化するという考え方は、組織心理学では「誘引・選抜・離職モデル」として知られています。社内昇進まで直接説明する理論ではありませんが、誰を選ぶかによって組織の性格が形作られる、という見方は参考になります。

文化は、経営理念を読んで受け継がれるものばかりではありません。どのような人が選ばれ、その人が次に誰を選ぶかによっても受け継がれます。「上司は知っている人を評価する」という不信が認知獲得行動を生み、その行動で昇進した人が、今度は知っている人を評価する側に回る。この循環が何世代か続けば、それは個人の処世術ではなく、組織文化になります。

説明可能な成果は増えるが、仕事は前に進まない

認知を取りに行く人が少数であれば、組織への影響は限定的です。しかし、その行動が評価や昇進につながることを周囲が学習すると、やがて模倣が始まります。

まず増えるのは、仕事についての発信です。次に、発信に向いた仕事が選ばれるようになります。そして最後には、仕事そのものが「報告しやすい単位」に分解され、短期間で成果らしく見えるものが優先されます。

一方で、障害を取り除く、他人の相談に乗る、品質を守る、既存システムを安定運用する、失敗の責任を引き受けるといった仕事は、認知を獲得しにくいままです。これらは組織の性能を支える重要な活動ですが、成功すれば何も起きないため、成果として語りにくいのです。

その結果、組織には「説明可能な成果」が増えるのに、なぜか仕事は前に進みにくくなります。報告資料は整い、社内発信は活発で、成功事例も大量に共有されている。それでも、誰が難しい問題を解いているのか、誰が最後まで責任を持っているのかが分からない。見える成果が増えたことで、かえって実際の貢献が見えにくくなることさえあります。

これは一律に確認された現象ではなく、ここまでの議論から導いた仮説です。ただ、成果の代理指標が、いつの間にか仕事の目的になることは組織で起こり得ます。

AIは認知競争を加速させるのか

生成AIの普及は、この傾向をさらに強めるかもしれません。

今はAIを使えば、同じ事実から用途に合わせた報告や、整った資料を短時間で作れます。仕事を進める能力とは別に、「仕事をしているように見える情報」を生成する能力が上がっています。

報告コストが下がり、現場の情報を他者が再利用できるなら、組織全体の生産性は上がります。

ただし、組織がアウトプットの量や見栄えを成果の代理指標にしていると、AIは生産性を上げる道具ではなく、認知獲得を自動化する装置にもなります。実際に行った小さな活動を、大きく、広く、戦略的に見える形へ編集する。書かれていることは事実でも、組織への貢献度については錯覚を生む。この種の情報は、明確な虚偽よりも扱いにくいものです。

生成AIが企業内の認知競争を加速させるという直接の研究は、今回は確認できませんでした。ここは情報生成コストの低下から考えた仮説です。

「発信するな」では解決しない

では、黙々と仕事をする人を評価し、自己アピールを抑えればよいのでしょうか。おそらく、それも違います。

見えない成果を見えるようにすることは必要です。組織が大きくなれば、誰が何をしているのかを自然に把握することはできません。発信を否定すると、今度は上司の近くにいる人や、非公式な人間関係を持つ人だけが有利になります。それでは認知の獲得経路が、公開の場から密室へ移るだけです。

必要なのは、発信の量を減らすことではなく、認知と貢献を混同しない評価だと思います。

本人が何を語ったかだけでなく、その仕事で誰の行動が変わり、どの問題が解消されたかを見る。他者の成果を可能にした貢献や、失敗を防いだ仕事も拾う。共同成果を一人へ帰属させず、起点、実装、運用を分けて捉える必要があります。

そして、自己申告されたストーリーだけで評価を完結させないことです。本人の説明は重要ですが、それは成果そのものではなく、成果を理解するための一つの入力にすぎません。

評価者にも、自分の認知範囲の外側を探す責任があります。「この人をよく知らない」は、成果が乏しいという情報ではなく、評価者が十分に観測できていないという情報です。

知らない人を無理に高く評価する必要はありません。ただ、知らないまま低く評価することにも、同じくらい慎重であるべきでしょう。

認知厨は、組織から返ってくるシグナル

「認知厨」という言葉には、個人を揶揄する響きがあります。しかし、本当に見るべきなのは個人ではなく、その行動を増幅している組織の側です。

社員は、会社が掲げる理念よりも、実際に誰が評価され、誰が昇進し、どの行動に報酬が与えられたかをよく見ています。認知を取りに行く人ばかりが得をするなら、周囲も同じ行動を始めます。それはモラルの低下というより、評価制度に対する正常な学習です。

そして、その方法で選ばれた人が次の評価者になることで、学習された行動は次の世代へ渡されます。

成果主義を導入したはずなのに認知競争が激しくなっているとすれば、社員の意識を変える前に、「この会社では何が成果として観測されているのか」を確かめた方がよいでしょう。

認知厨が蔓延しているように見える組織では、成果が足りないのではないかもしれません。成果を見分ける力が不足しているために、認知の強さで代用している。その可能性を疑う必要があります。

認知厨は、成果主義の敵ではありません。成果主義がうまく機能していないときに、組織から返ってくるシグナルなのだと思います。

参考資料

Peck, J. A. & Levashina, J.(2017)Impression Management and Interview and Job Performance Ratings: A Meta-Analysis of Research Design with Tactics in Mind

印象管理と、採用面接・職務評価との関係を分析したメタ分析です。

Wayne, S. J. & Liden, R. C.(1995)Effects of Impression Management on Performance Ratings: A Longitudinal Study

印象管理行動と上司評価の関係を検討した縦断研究です。

Salgado, J. F.ほか(2019)Meta-Analysis of Interrater Reliability of Supervisory Performance Ratings

上司による職務評価の評価者間一致度を扱ったメタ分析です。

Wang, H-Y. & Chen, Z-X.(2022)A moderated-mediation analysis of performance appraisal politics perception and counterproductive work behavior

評価をめぐる政治性の認知と、組織的公正感や行動との関係を調べた研究です。

Schneider, B.(1987)The People Make the Place

誘引・選抜・離職モデルを提唱した論文です。

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